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小さな行動が世界を変える

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少し前、経営理念をつくるには、「なぜやるのか」に焦点を当てることが大切だと書きました。その「なぜ」を掘り下げていくと、自社の活動がどのようにして人類社会に貢献できるか、という問いに行き着きます。ただ、人類社会という言葉を聞くと、「そんな壮大なことまでは考えていない」という風におっしゃる方もいらっしゃいます。けれど、どんなに小さな行動でも、社会に何らかの影響は与えているものだと私は思っています。 「バタフライエフェクト」という言葉をご存知でしょうか。その意味は、「ある場所で蝶が羽ばたくと、地球の反対側で竜巻が起こる」というものです。これは、ほんの小さな行動が、連鎖的に大きな影響を生むことを表しています。この理論は、私たちの行動にも当てはまると思います。日々のちょっとした行動が、実は全世界に影響を与えているのです。 私は時折、夜空を見上げて感じることがあります。無数の星が輝いていますが、もし、そのうちのたった1つでも欠けていれば、この宇宙のバランスは少し変わっていたのではないかと思うのです。だとすれば、この地球は今の姿とは少し違ったものになっていたかもしれない。それどころか誕生さえしなかったのかもしれません。それほどに、すべての存在は互いに影響しあっているのだと思います。 ですから、日頃の仕事では、貢献する相手が目の前のお客さん一人であったとしても、その影響は一人だけではなく、全世界に広がっているのだと思います。つまり、私たち一人ひとりが常に世界を変えているのです。 私たちは決して世界から分離独立して存在しているのではなく、世界と密接に繋がっています。一見小さな働きであっても、それは世界を変えていることになるという認識が必要です。それが自分の仕事への誇りに繋がると思いますし、その繋がりを意識することで、私たちはより良い行動を選び、社会に貢献していけるのです。 私たちは、この地球をより住みやすい場所に変えていくという使命をもっていると思います。それぞれの役割は異なっているけれど、私たちはみな同じ目的をもった「同志」です。この意識を持つことで、人類全体が良い方向に導かれ、その結果として自社も成長していくのではないでしょうか。

スキルの先にあるもの

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多くの人が「能力を高めたい」と考えるとき、まず思い浮かべるのが「スキル」を磨くことです。しかし、私はそれに加えて「センス」を養うことも大切だと感じています。 どの職業においても、本当に優秀な人というのは、「センス」とか「直感」も優れている気がします。「スキル」が高いだけでは、限界を感じる場面があるでしょう。「スキル」というのは、誰でもその仕事ができるようにするために、センスが良い人の仕事ぶりを分析し、パターン化したもの。だから、まだパターンが存在しない新しい仕事や、想定外の状況には対応しにくいと思うのです。 なのになぜ、「センスを磨こう」とは誰も言わないのでしょうか。それは、センスを身に着ける方法が誰にもわからないからだと思います。プロ野球で大活躍した長嶋茂雄選手に、ある記者が「バッターとしてヒットを打つコツは?」という質問をしたところ、彼は「スーッと来た球をガーンと打つ」と答えたという話がありますが、これがまさにその象徴です。センスは理論を超えており、言語化することが難しい。その点、「スキル」なら、習得すれば誰でも一定の向上は見込める。だから多くの人は、センスよりもスキルを身に着けようとするのでしょう。 しかし、だからといってセンスを身に着けることを諦めてしまって良いものでしょうか。最近ではAIがとても優秀になり、これからもその勢いは止まらない気がします。パターン化されたものならば、AIに任せたほうがよいことも増えてきたと思います。 先日、楠木建さんの「好き嫌いの復権」という本を読んでいたら、アップルのジョブズが下した重要な意思決定は、その8割以上が、論理を超えた「センス」としか言いようのないものだったと書いてありました。そして、そのセンスを磨くには、物事に対する好き嫌いを明確にし、好き嫌いについての自意識をもつこと。それがセンスの基盤を形成することは間違いないと語っていました。 私もそんな気がしています。心の機微に着目することは大切ではないでしょうか。たとえば、何かを見てカッコいいと思ったならば、なぜカッコいいと思ったのか。それを自分に問い続けてみること。そうすれば、どうして人がカッコいいと思うのかも理解できるようになるし、自分もカッコいいものをつくれるようになる。無論、それだけでセンスが身に着くとは言えませんが、センスというのは「感情に関わる能力」であることは

「なぜ」を語る経営理念

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私は昨年から、同友会というところで、「経営理念をつくる会」のメンター役を務めています。メンターを務めるほどの立派な経営者ではありませんが、それでも28年の経営経験があるので、少しでもお役に立てればと思っています。 経営理念をつくる際に、私は参加者のみなさんに、特に大切にしてほしいと願っていることがあります。それは、「なにをやるのか」よりも、「なぜやるのか」に焦点を当ててほしいということです。 「なにをやるのか」は、具体的にどのような仕事をするかを指し、「なぜやるのか」は、その仕事の根本的な社会的使命を指します。私は、この地球上に住むすべての人々の共通の目的は、人類社会全体への貢献だと思っています。それを自分の得意なことを通して果たしていく。それが私たち人間に与えられた本来の使命だと思っています。 そして、その使命感は、誰もが心の奥底で持っているものであり、だからこそ、それを想起させる理念に出会ったとき、人は共感したり感動したりするのだと思います。 ここで、「なにをやるのか」と「なぜやるのか」を人に説明したとき、相手がどう感じるのかを観察してみてほしいと思います。きっと多くの人は、「なにをやるのか」を聞いても、それは「頭で理解した」という程度にとどまると思います。でも、「なぜやるのか」を聞くと、それは頭での理解を超えて、「胸に響いた」とか「腹に落ちた」というように、もっと深いところで感じていることがわかります。つまり、前者は単なる「理解」であり、後者は「共感」に繋がるものなのです。 経営理念で「なぜやるのか」を語ることは当たり前のことと思うかもしれません。しかし、私も含めて多くの経営者は、日々の忙しさから、「なにをやるのか」をばかりを語ってしまいがちです。しかし、それでは仕事が単なる「労働」であり、生活のためにやるものという印象を与えてしまいます。でも、「なぜやるのか」を語れば、大きな意義を感じ、社員もその仕事に誇りを持つことができるでしょう。人は誰でも、より大きなもののために自分の命を使いたいと思っているからです。 私の会社は道具を販売している会社ではありますが、自社のことを単なる「道具屋」とは思っていません。私たちが目指すのは、技術者たちの創造性を刺激し、世界に新たな価値を生み出すお手伝いをすることです。それが、私たちの社会的な使命であり、人類社会の進化に貢献する

ありがとうを伝えられたなら

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20代のころ、私は小さな会社で働いていた。社員が少ない分、いつも社長のそばで仕事ができた。先日、その社長が2年ほど前に亡くなったことを知り、今日はご自宅を訪ねてお線香をあげさせていただいた。社長の写真を見ながら、奥様と当時の思い出話をたくさんした。社長には本当にいろんなことを教わったなあ。 小さな会社だったからこそ、社長がどのように経営に向き合っていたかを間近で見ることができた。経営とはどうあるべきか、人とどう接すべきか。教わったことは数えきれない。それが今の自分にどんだけ役立っているか。改めて思い知る。 この歳になると、若い頃にお世話になった人がご高齢になっていることが多い。そして、気がついたときには、もうその人はいないこともある。社長もその一人だった。生きているうちに、もっと感謝の気持ちを伝えられたらよかったのに。思い出すたびに、心の中で悔やんでいる。 人はいつか去る。だからこそ、生きているうちに、感謝の気持ちを伝えなければいけない。いつかではなく、今だ。その大切さを今日あらためて感じた。 (写真は社長のご自宅近くからの景色)

新製品の魅力とは

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 先日レストランで食事をしていたら、左斜め後ろの女性二人組の会話が耳に入ってきた。 「格付けチェック観た?」 「観てない。録画してあるけど」 「放送してる時に見るから面白いのに」 そういえば自分も、映画をいくつかPCに保存してあるけど、それよりも Amazon プライムとかで配信されてる映画ばかり観ている。保存してある映画の中にも良い映画はあるのに、それらは放置したままで、配信しているほうの映画ばかり観ている。それはたぶん、「ほかの誰かも観ている」ということに、何か魅力を感じているからだと思う。だから、女性が言っていた「放送してる時に見るから面白い」というのは何となく共感できる。 そのあと家に帰って、スマホを眺めていたら、偶然だがメトロノームが同期していく不思議な現象を捉えた動画を見た。バラバラのリズムを刻むいくつかのメトロノームを、振動の伝わりやすい台の上に置くと、共振現象が起き、やがて全てのメトロノームのリズムがピッタリ一致するのだ。 ほかの誰かも観ている番組とか映画を観たいという気持ちは、メトロノームを台に載せる行為と似ている気がした。それぞれがバラバラに過ごしていても、ときどき共通の台の上に乗り、社会との同期をとりたいというか、一体感を感じたいということなのかもしれない。 話しは飛ぶが、そう考えたとき、自分の中で「新製品」に対する考え方が変わってくる。多くの人は、既存製品よりも新製品に魅力を感じる。でもその理由は、新しいからというよりは、社会との一体感を感じたいからなのかもしれないと思った。古いものであったとしても、ほかの誰かも使っていると感じられれば、人は魅力を感じるのかもしれない。

突き動かされている感覚

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仕事をしているとき、「何かに突き動かされているような感覚」を味わうことがある。自分の意志で仕事をしているというよりは、何かに突き動かされているような感覚。この感覚は一体何なのか。改めて考えてみると、心の奥底に「共感」というものがあるような気がする。 会社を始めてから26年以上が経つ。その中で利益を最優先に考えていた時期があった。社員を初めて採用した頃だ。もし事業がうまくいかなくなった場合、私一人の会社なら困るのは自分だけだが、社員を雇っていると他人に迷惑をかけてしまう。そのプレッシャーが私を利益重視にしていった。 利益ばかりを追求していると、一時的にはうまくいっても長期的にはうまくいかない。利己的になってしまい、ステークホルダーを大切にしないからだ。それに、利益のためだけに仕事をするというのは、私の場合、あまりモチベーションは高まらないようだ。 そこで次に考えたことは、利他の精神を持つということ。これは無論素晴らしいことではあるのだが、私はうまくいかなかった。心のどこかで「やってあげている」というような恩着せがましい気持ちとか、「損をした」というような自己犠牲の気持ちが生まれてしまうからだと思う。 では、どうしてきたのかというと、自分の心の中に沸き起こる「ワクワク」に素直に従ってきただけだ。一見、利己的に思えるかも知れないが、それとはちょっと違う。ワクワクというのは、ふだんの生活の中で、お客さんとか社会の雰囲気を何となく感じており、それと自分の興味が一致したとき起こるものだと思う。だからワクワクに従うことは、自然と自分にとってもお客さんにとっても社会にとってもプラスになることが多いのだ。 つまり私にとってのワクワクは、お客さんや社会との共感から生まれるものであり、その気持ちに素直に従って仕事をすると「突き動かされているような感覚」になる。その感覚で仕事をしているとき、お客さんと自分との境界線や、仕事とプライベートとの境界線は消える。あらゆる境界線がないので、それは宇宙の意志そのものであり、だからこそ「突き動かされているような感覚」になるのだと思う。 宇宙の意志というと大げさな感じがしてしまうのだが、私たちは「宇宙の子」なのだ。宇宙が銀河を生み、銀河が太陽系を生み、太陽系が地球を生み、地球が私たち人類を生んだ。だから、私たち一人ひとりは宇宙の子であり、宇宙の意志が働い

女性性と日本

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「女性性」とは何か。私がすぐに思い浮かぶのが、宮崎駿監督の映画。彼の映画は、主人公に女の子をもってくることが多い。その理由を考えたときに、女性性とは何かということが私の中で明確になる。もしあの映画の主人公が男の子だったらどうなるか。たぶん、スリリングでユーモアもあって、エキサイティングな内容になるとは思う。だが、「面白かったね」で終わる。ただそれだけの映画になってしまう。感動が持続せず、心の中に残るものも何もない。そういう映画になってしまう気がする。でも女の子を主人公に持ってくるとどうなるか。ぬくもりというか、人類全体を包み込むような愛というか、そういう大きな愛を感じさせる作品になる。ジブリ作品が世界中に愛されてやまないのは、そうした女性性を感じさせるからだと自分は思っている。 ファッションに関しても同じようなことを感じている。男性性の強い人は、時計とか靴とか、そういうアイテムに対してはこだわりを持っている。でも女性性の強い人は、全体のスタイリングを重視し、場所や状況も考えて、そこにふさわしい服を選ぼうとする。それぞれのアイテムが良いものであることは大切ではあるが、それ以上に、全体の印象や調和を大切にする。 組織風土についても同じようなことが言える。職場において、男性性のつよい人は、自分のスキルをもって組織に貢献しようとする。女性性の強い人は、どこか遠くから全体を見守るような視点を持っている。自ら職場の問題に気づき、それを補うような動きをする。個の集まりであるはずの組織が、まるで一つの生命体のような振る舞いをする。それを支えているのが女性性である。 このように私にとっての女性性とは、「ちょっと高いところから見守るような視点」というイメージがある。体の中から世界を見るのではなく、体を離れたちょっと高いところからの視点で世界を見ているイメージ。女性がこの視点を持つのは、人類の命をつないでいくという使命を持って生まれてきているからなのかも知れないと思ったりする。「女性は人類の発展を願っている」という表現は堅苦しいかもしれないが、自分の子であろうとなかろうと、その誕生と成長を嬉しく思い、大切にしたいという気持ちを女性は持っている気がする。私を育ててくれた母もまさにそういう人であった。 こうした「高いところから世界を見る」という女性性の視点を、かつての偉大なる経営者は持ってい