人々の死生観が変化する
最近、自分は死ぬんじゃないかと思うことが多い。コロナをきっかけに、むかしお世話になった高齢の元上司の3人に電話して、まるでこれが最後かのような会話をしてる自分がいる。 それに今、自分の会社の経営方針を状況に合わせて何度も考え直しているが、まるで遺書でも書いているような気分だ。自分の思っていることや考えていることを、できるだけ文字にして残したいという気持ちがなぜか高まる。 先週なんて、桜を見に行ったら、あまりの美しさに、まるで天国にいるような気分になり、本当は自分は既に死んでいるんじゃないかと思ったぐらいだ。笑 ところで、人間の寿命は、昔にくらべて随分と伸びたなと思う。100年前の平均寿命は42歳だそうだ。現在の日本人男性の平均寿命は81歳だから、たった100年の間に人間の寿命が約2倍にも延びたことになる。 ただ、平均寿命は少しずつジワジワと伸びてきたのではなくて、実は、あるタイミングで一気に伸びた。そのタイミングとは、第二次世界大戦後の1947年ごろに「ペニシリン」という抗生物質が普及したときだ。この特効薬の発明と普及によって、人々の平均寿命は飛躍的に伸びたのだ。 だから、抗生物質の普及前に生まれた人と、普及後に生まれた人では、「死生観」というものがかなり異なるのだと思う。おそらく、普及前の人たちにとっての「死」は、今よりもっと身近で、「いつ死ぬかわからない」という感覚が常にあったのではないか。結核にかかったり流行性の風邪にかかれば、年齢に関係なく突如死んでしまう可能性が高かったからだ。 しかし、現代の人々にとっての「死」とは、「いつかやってくるもの」というような、どこか自分とは関係のないような感覚になってしまっている。ただ、このコロナによって、私と同じように、今までより死というものを少し身近に感じている人も多いのではないだろうか。 実は私は、「STAY HOME」が叫ばれている中、何度も桜を見に行った。それまでの私は、あまり桜に興味がなく、仕事ばかりしていた気がする。なのに今年の春は、これまでの人生の中でいちばん桜を見た気がする。それは多分、無意識に「死」というものを今までより身近に感じていることが理由になっているのだろう。 「死」が身近であればあるほど「生」は際立ってくる。寿命が延びることは素晴らしいことではあるが、たとえば