年頭にあたり
昨年は働き方改革という言葉をよく聞いた年だった。いま進められている働き方改革には、その根底に、人間の幸せとはお金がたくさんあること、働く時間が短いこと、という定義があるような気がする。しかし人間とはそんなに薄っぺらいものだろうか。かつて物資が不足していた時代ではそうだったのかもしれない。しかし私たちの社会はもう十分に物質的な豊かさを手に入れた。だからその考えは古くなってきているように思う。 人はどんな時に幸せを感じるのか。それは、自分の存在意義が感じられた時だと私は思う。その人でなければならない理由がたくさんあればあるほど、幸せになれるのではないだろうか。だから私は、生産性を向上させたいという気持ちはもちろん持ってはいるが、それよりも、社員一人ひとりが自分にできること得意なことを通して社会に貢献し、それが人の役に立ったり、喜ばれて自分の存在意義を実感できること、幸せを感じられること、そういう会社にすることが大切だと思っている。 人の幸せとはお金がたくさんあること、働く時間が短いこととしてしまっていては、経済成長が行き詰まるのは当然のことだ。実際、アダムスミスの言った、各個人が利益を追求することによって社会全体の利益がもたらされるという「神の見えざる手」はもう機能していない。馬の鼻先に人参をぶら下げるようなことをしても、もう人は食い付かないことを示しているのだ。既に人類の進化は次のステージに移り変わっている。そのことを自覚しないといけない。 だから企業も、利益や永続を目的に経営することは時代に合わなくなってきている。本来の企業の目的は何か。それは人生の目的に置き換えて考えてみればわかりやすい。人生の目的は生きながらえることではないし、お金を儲けることでもない。自分にできること得意なことを通して社会に貢献することではないだろうか。そしてそれが人の役に立ったり、喜ばれたときに自分の存在意義を確認でき、幸せを感じるものだと思う。お金を得ることや生きながらえることは、その活動を継続させるための手段であって目的ではないのだ。これは国家経営、地域経営、会社経営、人生経営すべてに通じることだと思う。 これからは、各企業が利益を追求することによって社会全体の利益がもたらされるという考え方ではなく、まずは社会全体の利益を考え、そのために自社は何が