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女性性の時代

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私は昔から女性が好きなのですが(笑)、それはべつに女好きとかそういう意味じゃなくて、女性というのは、なんというか、男性より一段も二段も高いところにいる。そういうイメージを持っています。 私はこのコロナ危機によって、物質文明が終焉し、精神文明が始まると思っているのですが、それは別の言い方をすれば、女性性(じょせいせい)の時代の始まりだと思っています。 それが具体的にどういうことかというと、私はものづくりの世界にいる人間なので、その範囲でしか具体例を説明できないのですが、たとえば燃費の良い自動車を開発するとします。そのとき男性性のつよい人であれば、抜群に効率の良い高性能エンジンを開発しようとするでしょう。しかし女性性がつよい人であれば、複数人数で乗ることが楽しくてしかたない自動車をつくると思います。今まで1人で乗っていた車が、4人で乗るようになれば、燃費は一気に4倍です。 もう一つ例を挙げるとすれば、いま起きているコロナ危機。この危機をどう乗り越えるかについて、男性性な人に意見を聞くと、だいたい政治的な話になってきて、けっこう面倒くさいです(笑)いかにも色々知ってそうな話をしているんですが、ちょっと気取っているだけです。何を隠そう自分がそうだからです(爆)。しょせん男の考えていることなんて、だいたいが勝った/負けたの世界であり、儲かった/損したという世界であることが多いんじゃないですかね。 でも女性性を持った人はちょっと違います。ウイルスに対して勝った/負けたの世界で見ているんじゃなくて、人類全体を高いところから見ている。そんなイメージですね。 宮崎駿監督はそういうことをよく知っていていて、だからこそ、主人公に女の子をもってくるのではないでしょうか。もし主役が男だったりすると、勝った/負けたの世界で終わってしまい、とても薄っぺらい内容になってしまいます。でも女の子を主人公に持ってくることで、温かみというか、人類全体を包み込むような大きな愛というか、そういうものを感じさせる作品にすることができる。ジブリ作品が世界中に愛されてやまないのは、それが理由な気がします。 実際、女性はこの人類の命をつないでいくという使命を持って生まれてきています。だから、我が子のことを自分の命に代えてでも守ろうとする。私は、どうしたって男性は女性にはかなわないと思って

もののあわれ

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医学的なことは詳しくないのでトンチンカンなことを書くかもしれないのですが、私は、コロナウイルスに罹った人が、事前に「死に至ることがある」という知識を知っていた場合と、知らなかった場合では、死亡率が異なるんじゃないかって思っています。 というのは、私は、風邪をひいたとき、体温は計らないようにしているんです。なぜかというと、もし38.5度とか高熱だったりすると、それに驚いて、さらに熱が上がってしまうからです。笑 ちなみに私は、今までの人生の中で、一度もインフルエンザに罹ったことがありません。でも実は、体温を計っていなかっただけで、もしかしたら罹ったことがあるのかもしれません。 何が言いたいのかと言うと、このコロナウイルスは、重症化すると息ができなくなるぐらい肺の状態が悪化すると聞きます。私は呼吸って、ものすごく精神状態が影響するって思っています。よく、過呼吸になる人は、その原因が精神的なものであることが多いと聞くからです。 なので、コロナという疫病に対して、あまり楽観的すぎるのはよくないけれど、恐怖感を持ちすぎると、もし肺の調子が悪くなった時に、「死ぬかもしれない」って思ってしまって、さらに呼吸が苦しくなるってことがあるんじゃないかっていうことです。医学的にはそういう問題じゃないかも知れないですが、少なくとも私には起こり得ます。 それと、私が思うに、このウィルスを予防するには、免疫力を高めるのがいちばんよいと思っています。 免疫力は心の状態が大きく左右しますよね。だから必要以上に恐れることなく、むしろ、積極的に笑ったり、いろんなことを楽しみたいですね。恐怖で心や体が硬くなってしまうと循環が悪くなってしまうから、運動をするのもいいんじゃないでしょうか。 今、私の住む地域では、桜が咲き始めています。なので、この土日は、人との距離を充分に保ったうえで桜を見に行こうと思います。桜を見て「もののあわれ」を感じるのが日本人ですよね。桜が本当に美しいのはわずか1週間ぐらいではないでしょうか。その1週間に命をかけて潔く散っていく桜を見ながら、自分の命があることのよろこびと美しさを実感したいです。とにかく明るく楽しく過ごしたいですね。

心の時代の到来

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私は、コロナウィルスがそれまでのインフルエンザと大して変わらないものなのか、それとも、本当に脅威的なものなのか、それはあまり気にならない。生物兵器なのか自然発生的なものなのかも気にならないし、このパニックが作為的なものなのか偶発的なのかも気にならない。たぶんそれらを追求していても、私には突き止めることができないと思うから。 いちばん気になるのは、「このコロナ危機は人類にとってどんな意味があるのか。」そして、「コロナ収束後の未来社会で私たちはどうあるべきか。」ということ。それをずっと考え続けてる。 私はこのコロナ危機は、個人的には今の調子だと最低でも2年は続くのではないかと感じてる。オリンピックは1年ほど延期になったようだけど、それまでに終息しているとは考えにくいし、それどころか2022年の冬季オリンピックでさえ開催は危ういと思ってる。 そして、それだけ長いあいだ経済が停滞すると、コロナ危機収束後の社会は、これまでの延長ではなく、かなり異なったものになるはずだ。 その社会は、ミクロ的に言えば、テレワークが進むとか、東京離れが進むといったこともあると思う。しかしマクロ的には、もっと大きな変化が訪れる。それはどんな変化なのか。 私の直感によれば、それは「心の時代」へのシフトだ。 ただ、それはもう、ずっと前から多くの人が気づいていたことだ。でも、なぜ今まで、その時代にシフトしきれずにいたのか。 それは、新しい未来社会にシフトするには、今あるものを一旦手放すというフェーズが必要になる。たとえば、部屋を大掃除するときに、部屋の中にある家具を、そのままにした状態で掃除するのと、それらの家具を一旦思い切って全部部屋の外に出してから掃除するのでは、同じ掃除でも次元が違う。後者の方が、部屋が新しく生まれ変わるような掃除ができる。 その古いものを全て手放すフェーズ、それこそが今回のコロナ危機だと思う。 私たちには今、生きるために必要なものは十分に揃っている。しかし、何のために生きるのか。どんな意味があるのか。それに答えてくれるものが何もない。 だからこそ、それに答えていくことが、これからの時代なのだ。 おそらくこのコロナ危機は、その古いものを全部出し切ったとき収束する。今、巷では、どうやって資産を防衛するかとか、どんな株を買っておくべきかと