矢内さまが自作した水槽 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 15, 2015 矢内さまの取材記事の続きです。これは矢内さまが自作した水槽です。この作品は以前、当社のものづくり文化展にご投稿頂いておりまして、その記事を見るとわかるのですが、実に多岐にわたる技術が使われています。それにも関わらずお一人で作られたというのだから驚きです。この水槽を夜に眺めますと、水中LEDや行灯がとても綺麗で心が安らぎます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
新製品「手動射出成形機 INARI M12」販売開始 9月 16, 2021 本日(9/16)、新製品「手動射出成形機 INARI M12」の販売が開始されました。各部の強度アップや、大容量成形時でも力をかけやすい構造を実現。最大容量も増やし12ccまでの成形が可能になりました。詳細は下記URLよりご覧ください。 https://originalmind.co.jp/news/1503 続きを読む
神戸の矢内商店さまについて 10月 05, 2015 今年の5月に、氷を販売していらっしゃる神戸市の 矢内商店さま を訪ね、取材をさせて頂きました。その時に撮らせて頂いた写真をこれから少しずつ紹介させて頂きたいと思いますが、その前に少し矢内さまについてのお話をさせて頂きたいと思います。 私は今から19年前の1997年にオリジナルマインドを創業しました。今でこそ当社は、メカトロニクス関連の組み立てキットや中古品を販売していますが、創業当初は、現在の業態とはまったく異なる「省力化機械のソフトウェア開発」の仕事をしておりました。 その仕事は、どちらかというと「生計を立てるため」の仕事でした。本当は個人のお客さまにメカトロニクス関連の組み立てキットや中古品の提供を通じて「ものづくりの楽しさと夢を届けたい」という思いを強く持っていたのですが、そのような業態はまだ日本に存在せず、しかも、自作する人がどんどん減っていった時代でしたから、商売として成立するのだろうかという強い不安を抱えていたのです。 このため私は、省力化機械のソフトウェア開発の仕事をしながら、WEBサイトの更新をするという「二足の草鞋」を履いて仕事をしていました。そんな状態でしたから、ソフトウェア開発の仕事が忙しくなると、WEBサイトの更新は何か月もストップしたままという状態が何度もあったのです。しかし矢内さまは、私が更新を滞らせても、再開すればすぐに注文をくださり、ときには、下記写真のようなプレゼントも送ってくださったり、さらには、つくった作品の写真も送ってくださいました。このことが当時の私にどれだけ励みとなり、支えとなったかしれません。私は矢内さまのおかげで、「生計のため」ではなく本来の志に専念する覚悟を得ることができたのです。 上の写真は2002年ごろ、下の写真は2010年ごろ矢内さまに頂いたプレゼントです。 続きを読む
人類社会の大きな潮流 7月 10, 2020 いま、人類社会には、グローバル化からグローカル化へ、中央集権型から自律分散型へ、画一化からパーソナル化へという、大きな流れがあると私は思っています。 その流れは、もう既に目に見えるかたちで社会に現れてきています。 たとえば今回の緊急事態宣言がそうです。国は宣言の発令はするけれども、具体的な対策は各自治体が決定しています。私たちは同じ日本人ではありますが、各自治体によってそれぞれ産業も異なれば風土も異なります。沖縄と北海道でまったく同じ対策をするのは無理があるのです。なので、小さい単位ごとに裁量が与えられることで、より素早く的確な判断が可能になります。 もうひとつ例をあげるとすれば、Netflixがそうです。Netflixというのは、マスでなく個人に向けてコンテンツを制作しているそうです。つまり、これまではどういう作品が人気なのかを統計をとり、その結果に合わせて作品を制作してきました。でもNetflixは、個人に向けて作品を制作しています。そのことによって体験価値のクオリティを上げ、ヒット作品に繋げているのです。 そもそも私たち人間は、一人ひとりそれぞれ異なったライフスタイルや考え方を持っています。平均とまったく一致する人など誰一人としていないのです。人々はそのことに無意識ながらも気が付いてきています。だからこそ、それが社会現象となり、グローバル化からグローカル化へ、中央集権型から自律分散型へ、画一化からパーソナル化へという流れが起きているのです。 実は私たちオリジナルマインドも、これを意識した活動をしています。それは「ブランド経営」です。全ての人に好かれようとするのではなく、私たちがターゲットと決めた人たちに向けて製品とサービスを作っています。 こうした動きは、「自立した個が有機的に連携して社会全体を幸せにしていく活動」と言うことができます。それぞれの個人や企業、自治体が、自分たちのできることを通して人類社会全体に貢献していく活動であるということです。 これまでの人類社会は、多くの人たちが「この世の中をどう生き抜くか」という視点で社会を見てきました。しかし、少しずつ「自分は世の中に何ができるか」という視点に変わってきています。 「世の中をどう生きるか」という考え方は、狩猟民族の名残であり、植民地支配の名残です。「ビジネス」という... 続きを読む
私たちが閉じ込められている「観点の檻」 3月 08, 2026 先日、YouTubeで僧侶が視聴者の人生相談に答える動画を拝見しました。現代の駆け込み寺とも言える光景でしたが、その内容に、私は少しだけもったいなさを感じてしまったのです。そこで語られていたのは、既存の道徳や「常識」という枠組みに沿った善悪論だったからです。本来、般若心経が説く「空」の智慧とは、私たちが絶対的だと信じている価値観に実体がないことを見抜き、一段高い次元へと解き放たれることではなかったでしょうか。 私たちは「不倫は悪だ」「公共の場での通話はマナー違反だ」と即座に断じます。しかし、その「嫌悪」の正体が何であるかを自らに問うことは稀です。例えば、電車内での通話が忌避される一方で、同じ音量の対面会話は許容される現象があります。認知科学的には、片方の声しか聞こえない「ハーフローグ」が脳に予測不能なストレスを与えるからだと説明されますが、多くの人はその仕組みを知らぬまま、ただ「マナー」というラベルを貼って思考を停止し、相手を糾弾してしまいます。 不倫や浮気に対する嫌悪も同様です。それは単なる道徳の問題なのでしょうか。人類が生存と繁殖を確実にするために進化の過程で組み込んだ、パートナーを独占しようとする生存本能の裏返しではないでしょうか。美味しいと感じる味覚が生存に有利な栄養素を求めた結果であるように、私たちの感情もまた、進化の産物としての「反応」に過ぎないのです。 歴史を遡れば、戦国時代には人を殺めることが武功として称えられました。時代や環境が変われば、正義と悪の定義は容易に反転します。般若心経は、そうした「観点の檻」から解き放たれ、執着のない「彼岸」へと向かうことを説いています。僧侶の本来の役割とは、世俗のルールを補強する道徳家であることではなく、相談者が囚われている檻の鍵を開け、真の自由へと導くことにあるはずです。 常識、マナー、法律。それらは社会を円滑に回すための暫定的な合意事項に過ぎません。私たちが真に「よりよい社会」を築こうとするならば、反射的な善悪の判断を一度保留し、なぜそう感じるのかという感情の源流を見つめ直すべきです。固定観念という檻を抜け出した先にこそ、形骸化した正しさに縛られない、本質的な知性が宿るのだと信じています。 続きを読む
意識はどこにあるのか ~連携としての生命~ 1月 18, 2026 人間が「死んだ」と判定されるとき、その基準として心臓の停止が用いられることがあります。しかし、心臓が止まったことそのものが、直接的に死を意味しているのでしょうか。むしろ重要なのは、心臓の停止によって血液の循環が失われ、身体全体を一つにまとめていた連携が維持できなくなる点にあるように思えます。心臓は生命のスイッチではなく、循環を成立させる装置であり、その循環が失われたとき、人間という全体は成立しなくなるのです。 この視点に立つと、死とは要素が壊れることではありません。心臓が止まった直後に、すべての細胞が一斉に消えてしまうわけではなく、しばらくの間は生き続けている細胞もあります。それでも私たちは、その状態を人間の死として扱います。これは、個々の要素が残っていても、それらを一つの存在として束ねていた連携や同期が失われたからだと考えられます。死とは破壊ではなく、連携がほどけていく現象だと言えるでしょう。 人間の身体は、血液だけで成り立っているわけではありません。細胞内液や細胞間液、電解質、神経、ホルモン、そして水を多く含む結合組織など、無数の流れが重なり合って存在しています。これらは命令を伝えるというよりも、状態を共有し、全体を同じ方向に揃える役割を果たしています。こうした多層的な連携によって、無数の細胞は一つの人間として振る舞うことができるのです。 意識についても、同じ構造があるのではないかと思います。意識は、肉体に魂が宿ることで突然生まれるものではなく、細胞や分子、さらに小さな要素にまで遍在しているものだと考えられます。人間の意識とは、それら無数の微小な意識が、循環と同期によって束ねられた状態にすぎません。血液や体液の流れは、意識を生み出すのではなく、意識を一つにまとめる働きをしているのです。 この構造は、会社や組織にも当てはまります。社員一人ひとりや各部門が正常に機能していても、それらを連携させる流れが失われれば、組織は成果を生み出せなくなります。情報が循環せず、判断が共有されず、意図が揃わない状態は、壊れてはいなくても、死に近い状態だと言えるでしょう。成果とは、個々の能力の総和ではなく、連携の結果として立ち上がるものだからです。 生きるとは、要素を集めることではなく、流れを保ち続けることだと思います。意識とは実体ではなく、連携と循環が生み出す状態そのものです。死とは... 続きを読む