関口教会で開催されたコンサートに行ってきました。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 22, 2015 私はキリスト教とはまったく無縁の人間ですが、先日、関口教会というところで開催されたコンサートに行ってきました。十二年ぐらい前にプラハに行った時から教会でのコンサートが好きになった私ですが、この関口教会でのコンサートも建物があまりに美しいせいか、声の響き方までが神々しいほどに美しかった。本当に心が洗われるようなコンサートでした。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
明和電機土佐社長を特別審査員としてお招きすることができました! 9月 11, 2015 毎年開催している当社の「ものづくり文化展」。その文化展に今年は明和電機土佐社長を特別審査員としてお招きすることができました。うれしすぎて毎日ニヤニヤしてます(*゚ー゚) http://www.originalmind.co.jp/cultural_exhibition/recruitment.php#2 続きを読む
宇宙自然の中の自分 10月 24, 2025 最近、文章の作成にAIを使う人が増えてきました。私も必要な場面では活用しているのですが、使いたくないときがあります。それは、降りてくるものをキャッチしたいときです。 ずいぶん昔のことですが、槇原敬之さんが何かの番組で、「詩を書いていると、その詩に教えられることがある」と話していました。彼の言っていること、わかる気がします。つまり、書いているうちに、なぜか自分が思っている以上のことが、言葉となって現れることがある。私はこの不思議な現象を「降りてきた」と呼んでいます。 「降りてきた」というと、なんとなくスピリチュアルな感じがしてしまいますが、そうしたインスピレーションを受け取る経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。ただ、それは吹けば飛んでしまうほど儚く、日頃の雑事で簡単に掻き消されてしまうもの。それでも、画面に向かってキーボードを打ち始めると、それがちゃんと文字となって現れてくれる。まるで宇宙からのメッセージを文字に変えていくような感覚です。 文章を書くということは、そうした「つながり」を確かめる行為なのだと私は思っています。たとえ上手な文章ではなくても、書くこと自体に意味がある。だから、この瞬間ではAIを使う必要はありません。 そして、降りてくるものに従って生きるとき、私は不思議な開放感と自由を感じます。ビジネス社会の中で生きているというより、宇宙自然の中を生きている感覚。仕事とかプライベートとか、そんな境界線を超えて、もっと大きな意志のもとで動かされているような気がするのです。 続きを読む
善悪で世界を分ける思考が自らを滅ぼす 3月 20, 2026 最近のイランをめぐる戦争のニュースを見ながら、私はあることを強く感じています。それは、人類が長く信じてきた「善悪の二元論」が、いま限界に近づいているのではないかということです。 中東には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの一神教が生まれ、広がってきました。いずれも唯一絶対の神を信じ、その神の正義を重んじる宗教です。もちろん、これらの宗教の歴史には共存してきた時代もありますし、現在の争いの原因が宗教だけにあるわけではありません。政治や領土、資源など、さまざまな要因が重なっていることは確かです。ただ、それでもなお、人々が自分たちの正義を強く信じ、その基準で世界を見ようとする構造が衝突を生みやすいことは否定できないように思えます。 ここで私は、善と悪というものについて改めて考えてみたいのです。善悪とは、最初から宇宙に存在していた絶対的なものなのでしょうか。むしろそれは、人間が社会をつくり、多くの人が同じ場所で暮らすために生み出してきた一種の秩序や約束事なのではないでしょうか。地域が違えば歴史も文化も異なり、そこにはそれぞれの価値観があります。言い方を変えれば、私たちはそれぞれ異なる世界観の中に生きているとも言えるでしょう。 それにもかかわらず、人はしばしば自分の価値観を普遍的なものだと思い込み、その基準で他者を裁こうとします。そして理解できない相手に対して「悪」や「ならず者」といった言葉で単純化してしまいます。しかし、そのように相手を決めつける側もまた、自分の価値観を絶対視しているという点では同じ構造の中にいるのではないでしょうか。 今回の戦争を見ていると、私はある意味で奇妙な構図を感じます。互いに正義を掲げながら争っている国々は、実は同じ思考の枠組みの中にいるのではないかということです。善と悪をはっきりと分け、その基準で世界を裁こうとする思考です。そう考えると、いま起きている戦争は、善悪二元論で世界を見る人たちの自滅を、彼ら自身が行っている出来事のようにも見えてきます。 私はこうした発想の背景に、世界を固定されたものとして捉える思考があるように感じています。価値観や正義を、まるで動かない物体のように扱ってしまう考え方です。しかし本来、人間の価値観も社会の秩序も、歴史の中で変化し続ける流動的なもののはずです。 般若心経には「不生不滅、不垢不浄、不増不減」という言... 続きを読む
理性は必要だが、中心ではいられない時代へ 3月 21, 2026 私は今、世の中で起きている大きなニュースを見ていると、それぞれが独立した出来事のようでいて、奥のほうでは共通した構造でつながっているように感じます。イランとアメリカ・イスラエルの対立、ホンダの巨額赤字、みずほFGの人員削減。分野は異なりますが、そこには同じ方向の変化が現れているように思えるのです。 まず国際情勢です。イランとアメリカ・イスラエルは、それぞれが正義を掲げています。しかし正義とは、自分と相手を切り分けたうえで成立する概念です。この分離を前提とした認識の中では、相手は「理解する存在」ではなく「対峙する存在」になりやすく、その結果として衝突が生まれやすくなります。理性は本来、物事を整理し理解するための重要な力ですが、その前提にある分離的な世界の捉え方が、対立を生みやすい構造につながっているのではないかと感じます。 この傾向は産業の変化にも見て取れます。ホンダの赤字は単なる業績の問題にとどまらず、ものづくりの構造の変化を示しているように思えます。内燃機関の時代には、設計だけではなく、最終的な仕上がりに人の感覚が大きく関わっていました。そこに企業や国ごとの「らしさ」が生まれていたのです。しかし電気自動車では、設計と制御の比重が高まり、再現性が高くなります。その結果、どこで作っても一定の水準に近づきやすくなり、差異はコストや条件に寄りやすくなる。この変化は効率化でもありますが、同時に感性が価値として現れにくくなる側面も持っています。 さらに、みずほFGの人員削減のニュースは、AIの進展と重なって見えます。これまで価値を持っていた事務処理や判断といった理性的な業務は、急速に機械に置き換えられつつあります。ここで起きているのは、理性が不要になるということではありません。むしろ、理性が広く共有され、誰もが使えるものになることで、それ自体では差になりにくくなるという変化です。 これらを通して感じるのは、理性の否定ではなく、その位置づけの変化です。理性はこれからも不可欠なものですが、それを中心に据えたままでは、対立を生み、差異を失い、価値を持ちにくくなる局面に入っているように思えます。 その中で重要になるのが、感性や直観といった、人と世界の関係性を切り分けずに捉える力です。これは理性と対立するものではなく、理性では扱いきれない領域を補完するものです。自分と世界の境界を強く引... 続きを読む