FabLab Shibuyaさんに当社のRD300があります リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 14, 2015 FabLab Shibuyaさんは、当社のKitMill RD300を設置してくださっています。当社はネット販売のみで店頭販売はしていないため、もしRD300の実物を見たいというお客様で関東地域にお住まいの方は、FabLab Shibuyaさんをご利用いただければ幸いです。ほかの機種についてはこちらをご覧下さい。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
誹謗中傷を防ぐ仕組み 7月 30, 2020 最近、誹謗中傷に関する話題をよく目にしますね。 先日知ったのですが、ヤフーニュースでは、毎日2万件もの誹謗中傷コメントを削除しているのだそうです。 一方、同じニュースサイトでも、「NewsPicks」というサイトでは、私が知る限り、誹謗中傷コメントを見かけたことがありません。 NewsPickではどのようにして誹謗中傷を防いでいるのでしょうか。自分なりに考えてみました。 まず、NewsPicksには「プロピッカー」といって、編集部が選んだ公式コメンテーターがいます。そのプロピッカーたちは、経営戦略や法律、語学などさまざまな分野の専門家です。 プロピッカーたちは、自身の実名や所属団体、顔写真、経歴までも公表していますので、自分の名誉にかけて有益な情報を読者に提供しようという気持ちが自然に生まれます。 そして、NewsPickでは、そのプロピッカーが書き込んだコメントを優先的に上位に表示される仕組みにしています。 このため多くのユーザーは、専門家である彼らのコメントを必然的に目にするようになり、そのコメントに引っ張られて、自分も質の高いコメントを残そうという気持ちが自然に生まれます。 「割れ窓の理論」というのを知っている人は多いのではないでしょうか。「どうせまた割られるだろう」と修理せずに放置しておくと、割れ窓がどんどん増えていき、やがて犯罪まで起きるようになります。でも放置せずに徹底的に修理をしていくと、自然に割れ窓が減っていく。街もだんだんに綺麗になり、犯罪も減っていきます。 それと同じで、専門家による有益な情報が常に上位にあると、それを見たユーザーも自然に正されていき、誹謗中傷も発生しなくなるのだと思います。 もし、上位に表示されるコメントを、専門家のコメントではなく、「いいね!」が多いコメントを上位に表示させるようにしてしまっていたら、どうなっていたでしょうか。 おそらく、コメントの内容が正しい情報でなかったり、下品な内容だったとしても、刺激的であったり面白かったりすれば上位に表示されてしまいますので、誹謗中傷コメントを誘発してしまうことになるでしょう。ヤフーニュースで誹謗中傷コメントが多いのは、それが原因になっているのだと思います。 つまり、質の高いコメントが上位にあれば、そのあとに続くコメントの自然に質の良いものになっていくし、質の低いコメントが上位にあれば... 続きを読む
世界は脳が作った像にすぎない 11月 24, 2025 私たちは世界を見ているのではない。脳が生成した像を「世界だ」と信じているだけだ。にもかかわらず、その事実を自覚して生きている人はほとんどいない。まるで自分が外界そのものを捉えているかのように錯覚している。 チームラボの猪子寿之さんは、西洋の絵画は遠近法によって「視点を固定した世界」を描くのに対し、日本の絵画はそうではないと言った。日本の絵は、複数の視点・時間・空間が同時に存在する「超主観空間」であり、見るものと見られるものが溶け合っている。その話を聞いた瞬間、私は気づいたのだ。世界の「見え方」とは文化がつくったアルゴリズムであり、脳はそれに従って現実を合成しているにすぎない。 黄色い花があるとしよう。誰もが黄色と答えるだろう。しかし光の波に「黄色」は存在しない。黄色を生成しているのは脳だ。そして、その黄色は、生物としての普遍性ではなく、文化が共有してきた「こう見えるはずだ」という合意の上に構築されている。 つまり、脳の知覚アルゴリズムは個体に内在する固定的なプログラムではなく、文化や時代が長い時間をかけて脳に上書きしてきた「世界の作り方」でもある。 遠近法の発明以前、人類は「奥行きのある空間」をそもそも認識していなかった。古代ギリシア人は「青」の概念をほとんど持たず、海を「青い」とは認識していなかった。これらはすべて、世界の見え方は文化的アルゴリズムによって決まるという事実の証拠である。 だとすれば、古代の壁画が私たちには稚拙に見えても、当時の人々には十分リアルだった可能性が高い。彼らは私たちとはまったく異なるアルゴリズムで世界を合成していたのだ。「リアルとは何か」という問いそのものが、文化と脳の相互作用によって作られている。 しかし、私たちはこの構造にほとんど気づかない。なぜなら、脳はアルゴリズムの存在を隠蔽するように働くからだ。透明な水の中にいる魚が水を認識できないように、人は「自分の認識方式」を認識することができない。 そして現代では、西洋的な視点固定型のアルゴリズムが世界の標準となり、私たちの脳はその方式に合わせて世界を描くように訓練されてしまった。まるで、唯一無二の現実がそこにあるかのように。 しかし現実は逆だ。世界が一つなのではない。世界をつくるアルゴリズムが一つに揃えられただけだ。 本来、人間が世界を認識する方式はもっと多様だった。もっと揺らぎ、もっと... 続きを読む
理性から感性へ ~経営の軸が変わる~ 11月 01, 2025 私はずっと前から、時代は理性から感性へと移行していくと感じてきました。その最もわかりやすい例が、「AIの進化と普及」だと思います。 AIの登場によって、経営判断の多くは合理的かつ正確に行えるようになりました。しかし、それは同時に、誰が使っても似たような答えに行き着くということでもあります。AIに頼る経営は、過去のデータと他社の傾向をなぞるような判断に収束し、結果としてどの会社も似た戦略をとるようになる。つまり、AIを使うほど個性が失われ、差別化が難しくなるのです。 そして、外側の基準に頼っている限り、競争から抜け出すことはできません。「AIがそう言っている」「データがそう示している」「みんながそうしている」。そうした外側の基準による判断には、自分の意思が存在しない。そこにあるのは正しさであって、想いではありません。 だからこそ、これからの経営者に求められるのは、自分の内側を見つめる力だと思います。自分がいま何を感じているのか、何に違和感を覚え、何に共感しているのか。その感覚を判断の基準にできなければ、外側の合理性に流されてしまいます。 経営とは、本来「こうしたい」という意思を社会に形として表す行為です。理念とは、まさにその「こうしたい」という願いを言葉にしたものだと思います。それは理性で設計するものではなく、自分の心の奥から湧き上がる感覚から生まれるものです。 AIの進化によって、理性的な判断の精度は限界まで高まりました。しかしその結果、私たちはあらためて問われるようになったのです。「自分は、どう感じているのか」「何をしたいと思っているのか」。外側の基準ではなく、自分の内側に軸を取り戻すこと。その姿勢こそが、感性の時代を生きる上で最も大切なことだと思います。 続きを読む
ホイーラーを超える認識宇宙論 11月 26, 2025 ホイーラーが晩年に語った「すべては情報である」という言葉は、単なる比喩ではなく、宇宙を理解するための鋭い視点を示していると感じています。情報を「データ」や「記号」として捉えるのではなく、宇宙の変化の痕跡として捉えることで、まったく違う景色が立ち上がってきます。 私が注目するのは、宇宙が一定の状態に留まるのではなく、常に広がりと収束の両方を抱え込んでいる点です。広がりは可能性を開き、収束は形を与える。この二つの傾向がどちらか一方ではなく、同時に働いていることで、世界には「違い」が生まれます。違いこそが、私たちが世界を認識できる根拠になります。 こうして生まれた違いは、そのまま宇宙の履歴として残ります。私はこれを痕跡と呼びますが、それは単なる物質的な跡ではなく、「どのような見方がここに生まれたのか」という記憶のようなものです。痕跡が蓄積するからこそ、宇宙は次にどのような構造をつくるかを選び取っていきます。まるで、これまでの経験の延長線上で、次の一手が決まるように感じられます。 この「痕跡の蓄積」こそが、私たちが時間と呼んでいるものの背景にあるのだと思います。外側から与えられた時間軸があるのではなく、変化の履歴が積み重なっていくことが「時間が流れる」という感覚につながる。つまり、時間とは宇宙が自分の履歴を更新していくリズムのようなものです。 私たちが世界を見る行為もまた、このリズムの中に含まれています。観測とは、宇宙とは別の立場から対象を眺める行為ではなく、むしろ宇宙の変化の中にある一つの現象にすぎません。私たちが世界を見ているようでいて、実際には宇宙が私たちという存在を通して自分を見直している。そのように捉えたほうが、世界の動きが自然に理解できます。 ここで重要なのは、「情報とは記録ではなく、見方そのものの痕跡である」という点です。痕跡は宇宙の記憶であり、見方はその都度生まれる新しい窓です。この二つが折り重なることで、世界の姿が変わっていきます。 ホイーラーが示した情報宇宙論を踏まえると、宇宙は単なる物体の集合ではなく、無数の「見方の層」でできていると考えたほうが現実に近いと感じています。そして、私たちの意識もまた、その層に重なる一つの現れです。宇宙は、私たちを通して自分の姿を確かめている。私はそのように理解しています。 この視点に立つと、世界は固定された舞台ではなく、... 続きを読む
理性から感性へ ~心で歩く旅~ 11月 03, 2025 私は、理性の時代から感性の時代へと移り変わっていることを、旅のあり方の変化に感じます。 かつての旅行は、極端に言えば「行ったという事実をつくるための行為」だったように思います。戦後の日本は長く物資の不足した時代であり、豪華さや贅沢がそのまま豊かさの象徴でした。だからこそ、有名な観光地を巡り、写真を撮り、名産品を買うことが旅の目的になっていたのです。「ハワイ」「京都」「沖縄」といった地名そのものがステータスであり、そこに行ったという記録が幸福の証でした。 そうした旅は多くの場合、団体旅行という形で行われました。効率よく名所を巡り、同じ時間に同じものを見て、同じ食事をとる。いわば大量の旅人を運ぶベルトコンベアのような仕組みの中に、旅が組み込まれていたのです。 しかし、今の旅行者たちは違います。少人数で、静かに、その土地の空気や人々の営みを感じながら旅をしています。団体旅行のように多くの人のリズムに合わせる必要がなく、目の前の風景や空気の揺らぎに心を傾けることができる。大量の観光客に囲まれた中では得られなかった、ゆっくりと心が自分の内側に沈んでいくような時間が、そこにはあるのです。だからこそ、人々は少人数で旅をするようになったのだと思います。他者のペースではなく、自分自身の呼吸で風景を味わうこと。それが、しみじみと感じる旅を可能にしているのでしょう。 このような旅のスタイルは、観光学で言う「スローツーリズム」に通じています。効率や経済性を重んじたマスツーリズム(大量観光)から、地域の文化や人との関わりを大切にする旅へと移り変わっているのです。近年の研究では、旅を「知る」よりも「感じる」経験として捉える傾向が強まっており、五感で味わう体験こそが旅の価値を形づくるとされています。 理性の時代が「知るための旅」だったとすれば、感性の時代は「感じるための旅」。それは、私たちの生き方そのものが、外側の評価から内側の実感へと移り変わっていることの象徴なのかもしれません。 続きを読む