KitMill Since 2003 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 21, 2016 たくさんの思いを込めた、KitMill オフィシャルムービー「KitMill Since 2003」公開しました。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
世界は脳が作った像にすぎない 11月 24, 2025 私たちは世界を見ているのではない。脳が生成した像を「世界だ」と信じているだけだ。にもかかわらず、その事実を自覚して生きている人はほとんどいない。まるで自分が外界そのものを捉えているかのように錯覚している。 チームラボの猪子寿之さんは、西洋の絵画は遠近法によって「視点を固定した世界」を描くのに対し、日本の絵画はそうではないと言った。日本の絵は、複数の視点・時間・空間が同時に存在する「超主観空間」であり、見るものと見られるものが溶け合っている。その話を聞いた瞬間、私は気づいたのだ。世界の「見え方」とは文化がつくったアルゴリズムであり、脳はそれに従って現実を合成しているにすぎない。 黄色い花があるとしよう。誰もが黄色と答えるだろう。しかし光の波に「黄色」は存在しない。黄色を生成しているのは脳だ。そして、その黄色は、生物としての普遍性ではなく、文化が共有してきた「こう見えるはずだ」という合意の上に構築されている。 つまり、脳の知覚アルゴリズムは個体に内在する固定的なプログラムではなく、文化や時代が長い時間をかけて脳に上書きしてきた「世界の作り方」でもある。 遠近法の発明以前、人類は「奥行きのある空間」をそもそも認識していなかった。古代ギリシア人は「青」の概念をほとんど持たず、海を「青い」とは認識していなかった。これらはすべて、世界の見え方は文化的アルゴリズムによって決まるという事実の証拠である。 だとすれば、古代の壁画が私たちには稚拙に見えても、当時の人々には十分リアルだった可能性が高い。彼らは私たちとはまったく異なるアルゴリズムで世界を合成していたのだ。「リアルとは何か」という問いそのものが、文化と脳の相互作用によって作られている。 しかし、私たちはこの構造にほとんど気づかない。なぜなら、脳はアルゴリズムの存在を隠蔽するように働くからだ。透明な水の中にいる魚が水を認識できないように、人は「自分の認識方式」を認識することができない。 そして現代では、西洋的な視点固定型のアルゴリズムが世界の標準となり、私たちの脳はその方式に合わせて世界を描くように訓練されてしまった。まるで、唯一無二の現実がそこにあるかのように。 しかし現実は逆だ。世界が一つなのではない。世界をつくるアルゴリズムが一つに揃えられただけだ。 本来、人間が世界を認識する方式はもっと多様だった。もっと揺らぎ、もっと... 続きを読む
ホイーラーを超える認識宇宙論 11月 26, 2025 ホイーラーが晩年に語った「すべては情報である」という言葉は、単なる比喩ではなく、宇宙を理解するための鋭い視点を示していると感じています。情報を「データ」や「記号」として捉えるのではなく、宇宙の変化の痕跡として捉えることで、まったく違う景色が立ち上がってきます。 私が注目するのは、宇宙が一定の状態に留まるのではなく、常に広がりと収束の両方を抱え込んでいる点です。広がりは可能性を開き、収束は形を与える。この二つの傾向がどちらか一方ではなく、同時に働いていることで、世界には「違い」が生まれます。違いこそが、私たちが世界を認識できる根拠になります。 こうして生まれた違いは、そのまま宇宙の履歴として残ります。私はこれを痕跡と呼びますが、それは単なる物質的な跡ではなく、「どのような見方がここに生まれたのか」という記憶のようなものです。痕跡が蓄積するからこそ、宇宙は次にどのような構造をつくるかを選び取っていきます。まるで、これまでの経験の延長線上で、次の一手が決まるように感じられます。 この「痕跡の蓄積」こそが、私たちが時間と呼んでいるものの背景にあるのだと思います。外側から与えられた時間軸があるのではなく、変化の履歴が積み重なっていくことが「時間が流れる」という感覚につながる。つまり、時間とは宇宙が自分の履歴を更新していくリズムのようなものです。 私たちが世界を見る行為もまた、このリズムの中に含まれています。観測とは、宇宙とは別の立場から対象を眺める行為ではなく、むしろ宇宙の変化の中にある一つの現象にすぎません。私たちが世界を見ているようでいて、実際には宇宙が私たちという存在を通して自分を見直している。そのように捉えたほうが、世界の動きが自然に理解できます。 ここで重要なのは、「情報とは記録ではなく、見方そのものの痕跡である」という点です。痕跡は宇宙の記憶であり、見方はその都度生まれる新しい窓です。この二つが折り重なることで、世界の姿が変わっていきます。 ホイーラーが示した情報宇宙論を踏まえると、宇宙は単なる物体の集合ではなく、無数の「見方の層」でできていると考えたほうが現実に近いと感じています。そして、私たちの意識もまた、その層に重なる一つの現れです。宇宙は、私たちを通して自分の姿を確かめている。私はそのように理解しています。 この視点に立つと、世界は固定された舞台ではなく、... 続きを読む
誹謗中傷を防ぐ仕組み 7月 30, 2020 最近、誹謗中傷に関する話題をよく目にしますね。 先日知ったのですが、ヤフーニュースでは、毎日2万件もの誹謗中傷コメントを削除しているのだそうです。 一方、同じニュースサイトでも、「NewsPicks」というサイトでは、私が知る限り、誹謗中傷コメントを見かけたことがありません。 NewsPickではどのようにして誹謗中傷を防いでいるのでしょうか。自分なりに考えてみました。 まず、NewsPicksには「プロピッカー」といって、編集部が選んだ公式コメンテーターがいます。そのプロピッカーたちは、経営戦略や法律、語学などさまざまな分野の専門家です。 プロピッカーたちは、自身の実名や所属団体、顔写真、経歴までも公表していますので、自分の名誉にかけて有益な情報を読者に提供しようという気持ちが自然に生まれます。 そして、NewsPickでは、そのプロピッカーが書き込んだコメントを優先的に上位に表示される仕組みにしています。 このため多くのユーザーは、専門家である彼らのコメントを必然的に目にするようになり、そのコメントに引っ張られて、自分も質の高いコメントを残そうという気持ちが自然に生まれます。 「割れ窓の理論」というのを知っている人は多いのではないでしょうか。「どうせまた割られるだろう」と修理せずに放置しておくと、割れ窓がどんどん増えていき、やがて犯罪まで起きるようになります。でも放置せずに徹底的に修理をしていくと、自然に割れ窓が減っていく。街もだんだんに綺麗になり、犯罪も減っていきます。 それと同じで、専門家による有益な情報が常に上位にあると、それを見たユーザーも自然に正されていき、誹謗中傷も発生しなくなるのだと思います。 もし、上位に表示されるコメントを、専門家のコメントではなく、「いいね!」が多いコメントを上位に表示させるようにしてしまっていたら、どうなっていたでしょうか。 おそらく、コメントの内容が正しい情報でなかったり、下品な内容だったとしても、刺激的であったり面白かったりすれば上位に表示されてしまいますので、誹謗中傷コメントを誘発してしまうことになるでしょう。ヤフーニュースで誹謗中傷コメントが多いのは、それが原因になっているのだと思います。 つまり、質の高いコメントが上位にあれば、そのあとに続くコメントの自然に質の良いものになっていくし、質の低いコメントが上位にあれば... 続きを読む
要素還元を超える科学 11月 09, 2025 これまでの科学は、現象を理解するためにそれを分解し、最小単位まで還元することで真理に近づこうとしてきました。この「要素還元的アプローチ」は、ニュートン以来の近代科学の基本姿勢であり、世界を「部分の総和」として捉える世界観に支えられてきました。 しかし、このやり方では説明できない現象があります。たとえば、意識や感情、文化のような高次の現象です。それらは、どれほど小さな単位に分解しても、その内部には存在しません。なぜなら、それらは要素の中にではなく、要素と要素の間の相互作用、すなわち関係性の中でのみ生まれるからです。 ここで重要なのは、「関係性」そのものが新しい性質を生み出すという点です。要素が結びついた瞬間、全体は単なる集まりではなく、新しいふるまいを持つ一つの系となります。 「創発」とは、まさにこの「関係の中」で起きる出来事です。一つひとつの細胞には感情はありません。しかし、多数の細胞が結合し、相互に信号をやり取りするネットワークを形成したとき、人間には感情が生まれます。一人ひとりの人間には文化はありません。しかし、多くの人々が関わり、影響を与え合う社会を形成したとき、文化が生まれます。 このように、全体の性質は要素の内部にはなく、関係の構造に宿ります。それが「全体は部分の総和ではない」と言われる理由です。要素を切り離して観察する限り、創発は決して見えてきません。 だからこそ、これからの科学には方向転換が求められています。要素を分解して理解するのではなく、構築して理解します。これが「構成論的アプローチ」です。たとえば、意識を理解するために人工神経ネットワークのモデルを構築し、どのような条件で自己認識に似たふるまいが生じるかを観察します。あるいは、人間社会をモデル化し、多数のエージェントを相互作用させることで、文化や秩序がどのように生成されるかを検証します。 たとえ全体がブラックボックスであっても、条件と結果の関係を観察すれば、創発の原理を経験的に明らかにできます。重要なのは、全体を「説明する」ことではなく、再現し、共に生成していくことです。 これまでの科学は、構成要素を取り出して理解しようとしてきました。これからの科学は、要素を結び合わせ、全体のふるまいを探る方向へ進みます。それは、観察する科学から、創ることで理解する科学への転換です。 続きを読む
記号接地問題と「感性」 11月 19, 2025 AIが急速に高度化し、ヒューマノイドロボットが現実の生活空間へ入り始めている。かつてはフィクションだった「ロボットと暮らす未来」が、ようやく具体的な輪郭を帯びてきた。 その中で私が考えてきたのは、AIの究極の壁として語られてきた「記号接地問題」がどう変わるのか、ということだった。記号接地問題とは、言葉や概念(記号)が、どうやって実際の世界と結びつくのかという問題である。これまでのAIは、記号と記号をつなぐことは得意でも、世界に触れながら意味を「感じ取る」ことはできなかった。 ところが、ヒューマノイドが身体を得たことで、大きな変化が起きつつある。ロボットが触覚をもち、歩き、物を持ち、人の前で反応する。これは、抽象的な記号だけで世界を理解しようとしてきた従来のAIとはまったく違う地平だ。身体を通して世界に触れられるという点で、記号接地は確かに大きく進展する。 しかし、私はこう考えている。身体を持つことで「世界に触れる力」は得られても、「意味を感じる力」はそのままでは生まれない。 人間は、外界に触れるだけではなく、その出来事が自分にとってどんな差異として響いたかを感じ取り、その痕跡を心のどこかに残しながら生きている。意味とは、その痕跡の連続である。環境の変化に対して、自分の内側がどのように揺れたのかという「感じ」があってはじめて、世界は意味を帯びる。 これを私は「観点」と呼んでいる。観点とは、世界をどう感じ、何を差異として受け取り、どんな痕跡として心に刻むかという、人間特有の認識の角度のことだ。観点は主観であり、経験の重ね方であり、ひとりひとりが持つ固有の視点だと言ってもいい。 AIが身体を持つことで、世界に触れ、測定し、行動することはできるようになる。しかし、その出来事が「自分にとってどんな意味を持ったのか」という痕跡は生まれない。そこには痛みも、恐れも、嬉しさも、戸惑いもない。つまり、世界を測ることはできても、世界が「自分の中に生まれる」ことがない。 記号接地問題とは、本質的にはこの「観点の不在」の問題なのだと思う。外界に触れるだけでは意味は立ち上がらない。意味とは、外界と内側が触れ合うときに初めて生じる「感じ」のことであり、これは単なるセンサーでは生まれない。 だから私は、ヒューマノイドの発展によって記号接地問題が「半分解ける」とは思うが、完全には解けないと考えてい... 続きを読む