私が高校生の頃につくった自作品たち リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 31, 2017 30年前、私が高校生の頃につくった自作品たち。当時電子工作が大好きで色々な機材を自作しました。いちばんつくったのはギターのエフェクターですが、処分してしまったみたいで今はもうありません。残っているこの作品たちは大切にとっておこうと思います。わたくしは電子回路をつくるのも好きだったけど、ケースを製品並みにきれいに工作することも好きでした。今、当社では個人向けに便利な工作機械をたくさんつくっているけど、当時それがあればどんなに便利だったろう(笑) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
要素還元を超える科学 11月 09, 2025 これまでの科学は、現象を理解するためにそれを分解し、最小単位まで還元することで真理に近づこうとしてきました。この「要素還元的アプローチ」は、ニュートン以来の近代科学の基本姿勢であり、世界を「部分の総和」として捉える世界観に支えられてきました。 しかし、このやり方では説明できない現象があります。たとえば、意識や感情、文化のような高次の現象です。それらは、どれほど小さな単位に分解しても、その内部には存在しません。なぜなら、それらは要素の中にではなく、要素と要素の間の相互作用、すなわち関係性の中でのみ生まれるからです。 ここで重要なのは、「関係性」そのものが新しい性質を生み出すという点です。要素が結びついた瞬間、全体は単なる集まりではなく、新しいふるまいを持つ一つの系となります。 「創発」とは、まさにこの「関係の中」で起きる出来事です。一つひとつの細胞には感情はありません。しかし、多数の細胞が結合し、相互に信号をやり取りするネットワークを形成したとき、人間には感情が生まれます。一人ひとりの人間には文化はありません。しかし、多くの人々が関わり、影響を与え合う社会を形成したとき、文化が生まれます。 このように、全体の性質は要素の内部にはなく、関係の構造に宿ります。それが「全体は部分の総和ではない」と言われる理由です。要素を切り離して観察する限り、創発は決して見えてきません。 だからこそ、これからの科学には方向転換が求められています。要素を分解して理解するのではなく、構築して理解します。これが「構成論的アプローチ」です。たとえば、意識を理解するために人工神経ネットワークのモデルを構築し、どのような条件で自己認識に似たふるまいが生じるかを観察します。あるいは、人間社会をモデル化し、多数のエージェントを相互作用させることで、文化や秩序がどのように生成されるかを検証します。 たとえ全体がブラックボックスであっても、条件と結果の関係を観察すれば、創発の原理を経験的に明らかにできます。重要なのは、全体を「説明する」ことではなく、再現し、共に生成していくことです。 これまでの科学は、構成要素を取り出して理解しようとしてきました。これからの科学は、要素を結び合わせ、全体のふるまいを探る方向へ進みます。それは、観察する科学から、創ることで理解する科学への転換です。 続きを読む
世界を導く使命を、日本はすでに持っている 12月 03, 2025 ピーター・ドラッカーは「すでに起こった未来」第11章で、日本画を通して日本社会の特質を読み解こうとしました。日本画には強い自己主張がなく、余白が大きく、視点が一点に固定されず、全体の気配が静かに漂っています。描かれていない部分が景色を生み、輪郭ではなく関係が場を成立させる。ドラッカーはこの表現形式に、日本人が長い時間をかけて育んできた、全体性と調和を大切にする精神を見出しました。それは欧米的な個の突出とは異なる、独自の価値観を示しています。 私は、現代社会の荒廃の要因として、この価値観が失われつつあること、そしてその背景に理性偏重があると考えています。啓蒙思想以来、理性は「世界を分解して理解する力」として高く評価されてきました。しかしその過程で、人は自分と他者を明確に切り分け、競争、対立、格差、孤立へと向かいやすくなりました。理性は秩序を記述する力ですが、同時に世界を細分化し、関係性を感じ取る力を弱めてしまうことがあります。 一方、この宇宙は創発によって発展してきました。関係が先にあり、個はその結び目として生まれる。海がお魚を生むという比喩が示すように、存在は全体の働きの中で立ち上がるものです。ドラッカーが日本画に見たものも、この創発的原理に響き合う感覚でした。余白が意味を生み、部分は全体の流れの中で息づく。日本人は、この感受性を潜在的に共有してきた民族だといえます。 だから日本では、全体が幸福でなければ個も幸福ではないと感じます。欧米では、周囲がどうであれ、自分が幸福なら幸福と考える。しかし日本人は、周囲と切り離された幸福を本能的に信じない。全体が濁れば自分も濁る。全体が澄めば自分も澄む。このあり方を「幸福感が低い」と否定的に語る風潮がありますが、私はむしろ希望だと感じています。 なぜなら、個の幸福は全体への貢献によって必ず還元されるからです。この循環を理解している民族は稀です。日本人は、自らのこの性質に誇りを持つべきです。そして、この価値観を世界に伝える役割があります。ドラッカーは、日本を「未来を先取りした社会」と呼びました。私は、その未来とは、理性を越えて感性が世界を導く時代だと考えています。今、世界はその転換点にあります。そうならなければ、人類は成熟せず、平和も豊かさも実現しないでしょう。 日本こそ、その道筋を示すリーダーになるべきです。 続きを読む
私たちが見ている「現実」はどこまで本物か? 11月 02, 2025 現実とは何か 私たちは、五感によって世界を直接感じていると思っています。しかし実際には、私たちが見ているのは「外界」そのものではなく、脳がつくり出した仮想的な映像です。視覚・聴覚・触覚などから入った情報は、電気信号として脳に伝わり、脳の中で統合・変換されて、ようやく「現実」として体験されます。 このしくみを理解すると、「現実」とは私たちの外にあるのではなく、脳という装置がつくり出した内部モデルに過ぎないことがわかります。 モリヌークス問題 このことを示す代表的な思考実験に「モリヌークス問題」があります。生まれつき盲目の人が、手で触れて球体と立方体の違いを理解していたとします。その人が手術によって視力を得たとき、見ただけで球体と立方体を見分けられるでしょうか。答えは「見分けられない」。なぜなら、「見る」という行為は、目の機能だけでなく、脳が視覚情報をどのように意味づけるかを学習して初めて成立するからです。 つまり、私たちは世界を「見ている」のではなく、「脳がつくった世界を見ている」。見るという行為そのものが、再構成された体験なのです。 「無眼耳鼻舌身意」を科学的に読む この構造は、古代の思想でも示唆されています。「眼・耳・鼻・舌・身・意」。これらの感覚器官は、世界を感じ取る窓のように思えますが、実際にはそのどれもが、外界の一部を取り込み、脳が「再構成」するための入力装置にすぎません。 現代的に言えば、私たちが知覚しているのは「外界」そのものではなく、脳内で生成された仮想現実です。神経科学の研究でも、脳は入力された情報をそのまま再現しているのではなく、「予測」と「修正」を繰り返しながら、もっとも整合性の取れた世界を構築していることが分かっています。私たちは真実そのものを見ることはできず、常に脳の作り出した仮想現実の中を生きているのです。 世界は「意識が自分を観察する場」 この構造をさらに俯瞰すると、興味深いことが見えてきます。もし私たちの体験する世界が脳の中で生成されているとすれば、「世界を認識する意識」とは、自分自身の活動を観察している意識でもあります。 この観点から見ると、宇宙全体は「意識が自分を知るためのプロセス」とも言える。私たち一人ひとりの知覚や感情、思考は、「意識という根源的な存在」が自分自身を観察し、理解するために投影した現象かもしれません。 つまり、私た... 続きを読む
理性から感性へ ~心で歩く旅~ 11月 03, 2025 私は、理性の時代から感性の時代へと移り変わっていることを、旅のあり方の変化に感じます。 かつての旅行は、極端に言えば「行ったという事実をつくるための行為」だったように思います。戦後の日本は長く物資の不足した時代であり、豪華さや贅沢がそのまま豊かさの象徴でした。だからこそ、有名な観光地を巡り、写真を撮り、名産品を買うことが旅の目的になっていたのです。「ハワイ」「京都」「沖縄」といった地名そのものがステータスであり、そこに行ったという記録が幸福の証でした。 そうした旅は多くの場合、団体旅行という形で行われました。効率よく名所を巡り、同じ時間に同じものを見て、同じ食事をとる。いわば大量の旅人を運ぶベルトコンベアのような仕組みの中に、旅が組み込まれていたのです。 しかし、今の旅行者たちは違います。少人数で、静かに、その土地の空気や人々の営みを感じながら旅をしています。団体旅行のように多くの人のリズムに合わせる必要がなく、目の前の風景や空気の揺らぎに心を傾けることができる。大量の観光客に囲まれた中では得られなかった、ゆっくりと心が自分の内側に沈んでいくような時間が、そこにはあるのです。だからこそ、人々は少人数で旅をするようになったのだと思います。他者のペースではなく、自分自身の呼吸で風景を味わうこと。それが、しみじみと感じる旅を可能にしているのでしょう。 このような旅のスタイルは、観光学で言う「スローツーリズム」に通じています。効率や経済性を重んじたマスツーリズム(大量観光)から、地域の文化や人との関わりを大切にする旅へと移り変わっているのです。近年の研究では、旅を「知る」よりも「感じる」経験として捉える傾向が強まっており、五感で味わう体験こそが旅の価値を形づくるとされています。 理性の時代が「知るための旅」だったとすれば、感性の時代は「感じるための旅」。それは、私たちの生き方そのものが、外側の評価から内側の実感へと移り変わっていることの象徴なのかもしれません。 続きを読む
オリジナルマインドはおかげさまで創立20周年を迎えました。 4月 04, 2017 昨日は入社式でした。同時に当社はおかげさまで創立20周年を迎えました。 今年迎える新入社員は18歳。彼が生まれる以前から当社は存在していたことになり、なんとも感慨深い気持ちになります。 中村一からみなさまへ ~創立20周年によせて~ http://www.originalmind.co.jp/company/message/foundation/ 続きを読む