【機械を作るキカイ】#01 バンドソーの作り方 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 18, 2021 このバンドソーは、当社のデスクトップ型CNCフライス「KitMill」と、金属折り曲げ機「MAGEMAGE」で作りました。ぜひ動画をご覧ください。https://youtu.be/2cANhMnU24o リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
私たちが閉じ込められている「観点の檻」 3月 08, 2026 先日、YouTubeで僧侶が視聴者の人生相談に答える動画を拝見しました。現代の駆け込み寺とも言える光景でしたが、その内容に、私は少しだけもったいなさを感じてしまったのです。そこで語られていたのは、既存の道徳や「常識」という枠組みに沿った善悪論だったからです。本来、般若心経が説く「空」の智慧とは、私たちが絶対的だと信じている価値観に実体がないことを見抜き、一段高い次元へと解き放たれることではなかったでしょうか。 私たちは「不倫は悪だ」「公共の場での通話はマナー違反だ」と即座に断じます。しかし、その「嫌悪」の正体が何であるかを自らに問うことは稀です。例えば、電車内での通話が忌避される一方で、同じ音量の対面会話は許容される現象があります。認知科学的には、片方の声しか聞こえない「ハーフローグ」が脳に予測不能なストレスを与えるからだと説明されますが、多くの人はその仕組みを知らぬまま、ただ「マナー」というラベルを貼って思考を停止し、相手を糾弾してしまいます。 不倫や浮気に対する嫌悪も同様です。それは単なる道徳の問題なのでしょうか。人類が生存と繁殖を確実にするために進化の過程で組み込んだ、パートナーを独占しようとする生存本能の裏返しではないでしょうか。美味しいと感じる味覚が生存に有利な栄養素を求めた結果であるように、私たちの感情もまた、進化の産物としての「反応」に過ぎないのです。 歴史を遡れば、戦国時代には人を殺めることが武功として称えられました。時代や環境が変われば、正義と悪の定義は容易に反転します。般若心経は、そうした「観点の檻」から解き放たれ、執着のない「彼岸」へと向かうことを説いています。僧侶の本来の役割とは、世俗のルールを補強する道徳家であることではなく、相談者が囚われている檻の鍵を開け、真の自由へと導くことにあるはずです。 常識、マナー、法律。それらは社会を円滑に回すための暫定的な合意事項に過ぎません。私たちが真に「よりよい社会」を築こうとするならば、反射的な善悪の判断を一度保留し、なぜそう感じるのかという感情の源流を見つめ直すべきです。固定観念という檻を抜け出した先にこそ、形骸化した正しさに縛られない、本質的な知性が宿るのだと信じています。 続きを読む
理性は必要だが、中心ではいられない時代へ 3月 21, 2026 私は今、世の中で起きている大きなニュースを見ていると、それぞれが独立した出来事のようでいて、奥のほうでは共通した構造でつながっているように感じます。イランとアメリカ・イスラエルの対立、ホンダの巨額赤字、みずほFGの人員削減。分野は異なりますが、そこには同じ方向の変化が現れているように思えるのです。 まず国際情勢です。イランとアメリカ・イスラエルは、それぞれが正義を掲げています。しかし正義とは、自分と相手を切り分けたうえで成立する概念です。この分離を前提とした認識の中では、相手は「理解する存在」ではなく「対峙する存在」になりやすく、その結果として衝突が生まれやすくなります。理性は本来、物事を整理し理解するための重要な力ですが、その前提にある分離的な世界の捉え方が、対立を生みやすい構造につながっているのではないかと感じます。 この傾向は産業の変化にも見て取れます。ホンダの赤字は単なる業績の問題にとどまらず、ものづくりの構造の変化を示しているように思えます。内燃機関の時代には、設計だけではなく、最終的な仕上がりに人の感覚が大きく関わっていました。そこに企業や国ごとの「らしさ」が生まれていたのです。しかし電気自動車では、設計と制御の比重が高まり、再現性が高くなります。その結果、どこで作っても一定の水準に近づきやすくなり、差異はコストや条件に寄りやすくなる。この変化は効率化でもありますが、同時に感性が価値として現れにくくなる側面も持っています。 さらに、みずほFGの人員削減のニュースは、AIの進展と重なって見えます。これまで価値を持っていた事務処理や判断といった理性的な業務は、急速に機械に置き換えられつつあります。ここで起きているのは、理性が不要になるということではありません。むしろ、理性が広く共有され、誰もが使えるものになることで、それ自体では差になりにくくなるという変化です。 これらを通して感じるのは、理性の否定ではなく、その位置づけの変化です。理性はこれからも不可欠なものですが、それを中心に据えたままでは、対立を生み、差異を失い、価値を持ちにくくなる局面に入っているように思えます。 その中で重要になるのが、感性や直観といった、人と世界の関係性を切り分けずに捉える力です。これは理性と対立するものではなく、理性では扱いきれない領域を補完するものです。自分と世界の境界を強く引... 続きを読む
世界の究極の支配者は誰か 1月 19, 2026 私は時々、この世界を支配している究極の存在は誰なのか、世界の頂点に立つものは何なのか、そんなことを考えることがあります。しかし、その問いを突き詰めていった先に何があるのかを考えると、結局のところ、それ自体はあまり意味のある問いではないのかもしれない、と思うようになりました。 なぜなら、私たちが「世界の支配構造」と呼んでいるものは、実は私たち自身の精神構造そのものではないか、と感じるからです。仮に、どこかに究極の支配者が存在し、その者が自分の思うままに人々を支配しているとします。私たちはその存在を非難し、叩き潰し、排除しようとするでしょう。しかし、そのときに働いている私たちの精神は、支配者の精神と本質的に同じではないでしょうか。自分の正しさを掲げ、相手を否定し、排除する。その構造自体が、すでに支配の論理だからです。 そもそも、善悪というものは絶対的に存在しているのでしょうか。私はそうは思いません。善悪とは、あらかじめ世界に備わっているものではなく、それぞれの人の認識の中に生まれるものです。世界はただ在るだけであり、そこに善悪の意味づけをしているのは、私たち一人ひとりの認識作用です。経験や知識、積み上げてきた判断基準、生まれながらに持っている性質、そうしたものがフィルターとなって、「ただ在るもの」を見ています。 その意味で、私たちは基本的に錯覚の中で生きています。自分の認識作用が生み出した世界を、あたかもそれが唯一の現実であるかのように信じて生きている。しかし、だからといって、この社会の支配構造をそのまま放置してよい、という話にはなりません。私が言いたいのは、支配者を批判し、排除すれば問題が解決する、という単純な話ではないということです。精神構造が変わらないかぎり、支配者を入れ替えただけで、同じ構造が何度でも繰り返されるからです。 では、何を変えなければならないのか。それは、私たちの認識作用そのものです。これは「観点」と言い換えてもよいでしょう。その観点を通して見た世界こそが、それぞれの人間にとっての宇宙です。観点が変わらないかぎり、世界も変わらない。この観点を健康にすることこそが、究極の解決なのだと私は考えています。 ここで、いつも私が話している「感性と理性」の問題が浮かび上がってきます。現代社会では、多くの人が世界を「理性」というフィルターを通して見ています。理性は... 続きを読む
年頭にあたり ~わかって生きるために~ 1月 02, 2026 私は今、人々が本当に求めているものは「意味」なのではないかと感じています。便利さでも、豊かさでも、効率でもない。それらを手に入れた先で、私たちは次に何を支えに生きればいいのか、その答えを探しているように見えます。 振り返れば、私たちの社会は長いあいだ「貧しさからの脱却」という側面を強く持ちながら進んできました。貧しいことは苦しいことではあるのですが、それが生きる「意味」としての役割も果たしていました。生き延びるために働く。家族を守るために動く。その行為そのものが、疑いようのない意味を持っていたのだと思います。 しかし、ある程度その目標が達成された社会では、生きること自体が前提になります。その瞬間、「なぜ生きるのか」という問いだけが、取り残されるのです。物質的には満たされているのに、どこか空虚さが残るのは、その問いに答えを持たないまま日々を過ごしているからではないでしょうか。 これまでの社会は、この問いに正面から向き合うことをあまりしてきませんでした。理性を重視し、測れるもの、説明できるもの、再現できるものを価値の中心に据えてきたからです。その結果、意識や感覚、直感、意味といった数値にならないものは、扱いにくい存在として脇に置かれてきました。 しかし、それらは存在しないわけではありません。むしろ、人が何を選び、何に心を動かされ、何に価値を感じるかは、そうした領域によって決定されています。それを「測れない」という理由だけで切り捨ててきたとしたら、それは合理的というより、乱暴な態度だったのではないかと私は思うのです。 理性だけで捉えられた世界では、人間は物質となり、できごとはすべて物理現象や化学反応として説明されます。それは正しい側面もありますが、その世界観だけでは、「人はなぜ生きるのか」「この世界は何なのか」という根源的な問いに答えを与えることはできません。そのままでは、私たちは意味を持たないまま「とりあえず生きる」しかなくなってしまいます。 意味のない合理性は、人を長く動かし続けることができません。やがて生きるエネルギーは枯渇します。だからこそ今、感性があらためて重要になっているのだと思います。感性とは、世界を意味あるものとして受け取る力です。出来事に意味を与え、行為に納得を与え、生きることそのものを内側から支える力です。 これからの時代に求められているのは、理性か感... 続きを読む
KAZKINさんの美しいゴム銃 10月 22, 2015 先日ものづくり文化展に投稿してくださった KAZKINさまのフェイスブック を拝見していたら、 「CNCフライス始めました。」 という記事に辿り着きました。思えばKAZKINさんには、3年ぐらい前に 「ゴム鉄砲製作のようす」 というページを作る際に「ストライクディンゴ」というカッコいいゴム鉄砲のデータを頂き、大変お世話になりました。KAZKINさんはその時はまだ手加工でゴム銃を作っていらしたと思うのですが、今回のご投稿を拝見したら、CNCやアルマイトを駆使したそれは美しいゴム銃を作っていらして大変感動しました。動画までが美しく作られており、KAZKINさんのセンスの高さが伺えます。それにしてもこのゴム銃って、すごく男の心をくすぐりますね。撃った時に手に返ってくる反動とか、カシャっていう動作音とかたまらないと思います。その上この美しさですからね。 その 「CNCフライス始めました。」 の記事には、「仕事でボール盤やバンドソーを扱う程度で、文系卒の僕は機械に詳しくありません。先端の工作機械を自分で組み立てるのは不安でした。でも案外やってみたら簡単で楽しかったです。仕組みを理解できたので、今後何かあっても臆することなく分解して調整することができます。完成品を買ってたらそうはいかないと思います。」という言葉がありました。私はお客さんにそう思って頂けるよう商品提供をしてきたので、この言葉は本当に嬉しいです。また、このページからは大切にCNCを使ってくださっている様子が伝わってきて、そのこともすごく嬉しく感じました。 そのKAZKINさんが、あのデアゴスティーニさんを通じてKAZKIN2120.R.B.GUNSというメタル輪ゴム銃を発売する事になったそうです。もう予約開始しているそうなのでぜひチェックしてみて下さい! 続きを読む