新製品「手動射出成形機 INARI M12」販売開始 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 9月 16, 2021 本日(9/16)、新製品「手動射出成形機 INARI M12」の販売が開始されました。各部の強度アップや、大容量成形時でも力をかけやすい構造を実現。最大容量も増やし12ccまでの成形が可能になりました。詳細は下記URLよりご覧ください。https://originalmind.co.jp/news/1503 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
理性から感性へ ~心で歩く旅~ 11月 03, 2025 私は、理性の時代から感性の時代へと移り変わっていることを、旅のあり方の変化に感じます。 かつての旅行は、極端に言えば「行ったという事実をつくるための行為」だったように思います。戦後の日本は長く物資の不足した時代であり、豪華さや贅沢がそのまま豊かさの象徴でした。だからこそ、有名な観光地を巡り、写真を撮り、名産品を買うことが旅の目的になっていたのです。「ハワイ」「京都」「沖縄」といった地名そのものがステータスであり、そこに行ったという記録が幸福の証でした。 そうした旅は多くの場合、団体旅行という形で行われました。効率よく名所を巡り、同じ時間に同じものを見て、同じ食事をとる。いわば大量の旅人を運ぶベルトコンベアのような仕組みの中に、旅が組み込まれていたのです。 しかし、今の旅行者たちは違います。少人数で、静かに、その土地の空気や人々の営みを感じながら旅をしています。団体旅行のように多くの人のリズムに合わせる必要がなく、目の前の風景や空気の揺らぎに心を傾けることができる。大量の観光客に囲まれた中では得られなかった、ゆっくりと心が自分の内側に沈んでいくような時間が、そこにはあるのです。だからこそ、人々は少人数で旅をするようになったのだと思います。他者のペースではなく、自分自身の呼吸で風景を味わうこと。それが、しみじみと感じる旅を可能にしているのでしょう。 このような旅のスタイルは、観光学で言う「スローツーリズム」に通じています。効率や経済性を重んじたマスツーリズム(大量観光)から、地域の文化や人との関わりを大切にする旅へと移り変わっているのです。近年の研究では、旅を「知る」よりも「感じる」経験として捉える傾向が強まっており、五感で味わう体験こそが旅の価値を形づくるとされています。 理性の時代が「知るための旅」だったとすれば、感性の時代は「感じるための旅」。それは、私たちの生き方そのものが、外側の評価から内側の実感へと移り変わっていることの象徴なのかもしれません。 続きを読む
要素還元を超える科学 11月 09, 2025 これまでの科学は、現象を理解するためにそれを分解し、最小単位まで還元することで真理に近づこうとしてきました。この「要素還元的アプローチ」は、ニュートン以来の近代科学の基本姿勢であり、世界を「部分の総和」として捉える世界観に支えられてきました。 しかし、このやり方では説明できない現象があります。たとえば、意識や感情、文化のような高次の現象です。それらは、どれほど小さな単位に分解しても、その内部には存在しません。なぜなら、それらは要素の中にではなく、要素と要素の間の相互作用、すなわち関係性の中でのみ生まれるからです。 ここで重要なのは、「関係性」そのものが新しい性質を生み出すという点です。要素が結びついた瞬間、全体は単なる集まりではなく、新しいふるまいを持つ一つの系となります。 「創発」とは、まさにこの「関係の中」で起きる出来事です。一つひとつの細胞には感情はありません。しかし、多数の細胞が結合し、相互に信号をやり取りするネットワークを形成したとき、人間には感情が生まれます。一人ひとりの人間には文化はありません。しかし、多くの人々が関わり、影響を与え合う社会を形成したとき、文化が生まれます。 このように、全体の性質は要素の内部にはなく、関係の構造に宿ります。それが「全体は部分の総和ではない」と言われる理由です。要素を切り離して観察する限り、創発は決して見えてきません。 だからこそ、これからの科学には方向転換が求められています。要素を分解して理解するのではなく、構築して理解します。これが「構成論的アプローチ」です。たとえば、意識を理解するために人工神経ネットワークのモデルを構築し、どのような条件で自己認識に似たふるまいが生じるかを観察します。あるいは、人間社会をモデル化し、多数のエージェントを相互作用させることで、文化や秩序がどのように生成されるかを検証します。 たとえ全体がブラックボックスであっても、条件と結果の関係を観察すれば、創発の原理を経験的に明らかにできます。重要なのは、全体を「説明する」ことではなく、再現し、共に生成していくことです。 これまでの科学は、構成要素を取り出して理解しようとしてきました。これからの科学は、要素を結び合わせ、全体のふるまいを探る方向へ進みます。それは、観察する科学から、創ることで理解する科学への転換です。 続きを読む
私たちが見ている「現実」はどこまで本物か? 11月 02, 2025 現実とは何か 私たちは、五感によって世界を直接感じていると思っています。しかし実際には、私たちが見ているのは「外界」そのものではなく、脳がつくり出した仮想的な映像です。視覚・聴覚・触覚などから入った情報は、電気信号として脳に伝わり、脳の中で統合・変換されて、ようやく「現実」として体験されます。 このしくみを理解すると、「現実」とは私たちの外にあるのではなく、脳という装置がつくり出した内部モデルに過ぎないことがわかります。 モリヌークス問題 このことを示す代表的な思考実験に「モリヌークス問題」があります。生まれつき盲目の人が、手で触れて球体と立方体の違いを理解していたとします。その人が手術によって視力を得たとき、見ただけで球体と立方体を見分けられるでしょうか。答えは「見分けられない」。なぜなら、「見る」という行為は、目の機能だけでなく、脳が視覚情報をどのように意味づけるかを学習して初めて成立するからです。 つまり、私たちは世界を「見ている」のではなく、「脳がつくった世界を見ている」。見るという行為そのものが、再構成された体験なのです。 「無眼耳鼻舌身意」を科学的に読む この構造は、古代の思想でも示唆されています。「眼・耳・鼻・舌・身・意」。これらの感覚器官は、世界を感じ取る窓のように思えますが、実際にはそのどれもが、外界の一部を取り込み、脳が「再構成」するための入力装置にすぎません。 現代的に言えば、私たちが知覚しているのは「外界」そのものではなく、脳内で生成された仮想現実です。神経科学の研究でも、脳は入力された情報をそのまま再現しているのではなく、「予測」と「修正」を繰り返しながら、もっとも整合性の取れた世界を構築していることが分かっています。私たちは真実そのものを見ることはできず、常に脳の作り出した仮想現実の中を生きているのです。 世界は「意識が自分を観察する場」 この構造をさらに俯瞰すると、興味深いことが見えてきます。もし私たちの体験する世界が脳の中で生成されているとすれば、「世界を認識する意識」とは、自分自身の活動を観察している意識でもあります。 この観点から見ると、宇宙全体は「意識が自分を知るためのプロセス」とも言える。私たち一人ひとりの知覚や感情、思考は、「意識という根源的な存在」が自分自身を観察し、理解するために投影した現象かもしれません。 つまり、私た... 続きを読む
製品PV「量産力が、欲しいか」の制作風景 2月 22, 2018 射出成形機「INARI」の製品PVは、着手から公開まで4か月もかかりました。 まず、どんなPVにするか、その内容が決まるまでに2か月ぐらいかかっています。 社内で案を出し合い、6本ほど絵コンテができましたが、最終的に、INARIと3Dプリンタを対決させる案が採用されました。「量産力が、欲しいか」というコンセプトが伝わりやすいのではないか、という考えからです。 しかし、3Dプリンタをどうするかということになりました。この案に出てくる3Dプリンタには、目(レンズ)がついていたためです。 目のついた3Dプリンタなど存在しません。このため、AMAZONで中国製の3Dプリンタを購入し、外装のすべてを社内で設計したものに交換し、そこにレンズを取り付けました。 また、INARIと3Dプリンタの対決とは言っても、互いにモノですから本来表情はありません。このため、カメラワークと微妙な間(ま)の取り方を工夫し、緊張感などの表情を演出しました。 たった5分のPVではありますが、INARIは発売前からたくさんの反響をいただいていたこともあり、かなりの時間と手間をかけ、気合いの入ったPV制作となりました。 続きを読む
ホイーラーを超える認識宇宙論 11月 26, 2025 ホイーラーが晩年に語った「すべては情報である」という言葉は、単なる比喩ではなく、宇宙を理解するための鋭い視点を示していると感じています。情報を「データ」や「記号」として捉えるのではなく、宇宙の変化の痕跡として捉えることで、まったく違う景色が立ち上がってきます。 私が注目するのは、宇宙が一定の状態に留まるのではなく、常に広がりと収束の両方を抱え込んでいる点です。広がりは可能性を開き、収束は形を与える。この二つの傾向がどちらか一方ではなく、同時に働いていることで、世界には「違い」が生まれます。違いこそが、私たちが世界を認識できる根拠になります。 こうして生まれた違いは、そのまま宇宙の履歴として残ります。私はこれを痕跡と呼びますが、それは単なる物質的な跡ではなく、「どのような見方がここに生まれたのか」という記憶のようなものです。痕跡が蓄積するからこそ、宇宙は次にどのような構造をつくるかを選び取っていきます。まるで、これまでの経験の延長線上で、次の一手が決まるように感じられます。 この「痕跡の蓄積」こそが、私たちが時間と呼んでいるものの背景にあるのだと思います。外側から与えられた時間軸があるのではなく、変化の履歴が積み重なっていくことが「時間が流れる」という感覚につながる。つまり、時間とは宇宙が自分の履歴を更新していくリズムのようなものです。 私たちが世界を見る行為もまた、このリズムの中に含まれています。観測とは、宇宙とは別の立場から対象を眺める行為ではなく、むしろ宇宙の変化の中にある一つの現象にすぎません。私たちが世界を見ているようでいて、実際には宇宙が私たちという存在を通して自分を見直している。そのように捉えたほうが、世界の動きが自然に理解できます。 ここで重要なのは、「情報とは記録ではなく、見方そのものの痕跡である」という点です。痕跡は宇宙の記憶であり、見方はその都度生まれる新しい窓です。この二つが折り重なることで、世界の姿が変わっていきます。 ホイーラーが示した情報宇宙論を踏まえると、宇宙は単なる物体の集合ではなく、無数の「見方の層」でできていると考えたほうが現実に近いと感じています。そして、私たちの意識もまた、その層に重なる一つの現れです。宇宙は、私たちを通して自分の姿を確かめている。私はそのように理解しています。 この視点に立つと、世界は固定された舞台ではなく、... 続きを読む