ワンダーフェスティバル2018冬で新製品を展示します。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 2月 15, 2018 2月18日に開催されるワンダーフェスティバル2018冬にて、新製品「クーラントケース」の展示を行います。手動射出成形機「INARI」による成形体験も行いますので、ご興味のある方はぜひお越しください。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
ありがとうを伝えられたなら 10月 19, 2024 20代のころ、私は小さな会社で働いていた。社員が少ない分、いつも社長のそばで仕事ができた。先日、その社長が2年ほど前に亡くなったことを知り、今日はご自宅を訪ねてお線香をあげさせていただいた。社長の写真を見ながら、奥様と当時の思い出話をたくさんした。社長には本当にいろんなことを教わったなあ。 小さな会社だったからこそ、社長がどのように経営に向き合っていたかを間近で見ることができた。経営とはどうあるべきか、人とどう接すべきか。教わったことは数えきれない。それが今の自分にどんだけ役立っているか。改めて思い知る。 この歳になると、若い頃にお世話になった人がご高齢になっていることが多い。そして、気がついたときには、もうその人はいないこともある。社長もその一人だった。生きているうちに、もっと感謝の気持ちを伝えられたらよかったのに。思い出すたびに、心の中で悔やんでいる。 人はいつか去る。だからこそ、生きているうちに、感謝の気持ちを伝えなければいけない。いつかではなく、今だ。その大切さを今日あらためて感じた。 (写真は社長のご自宅近くからの景色) 続きを読む
理性は必要だが、中心ではいられない時代へ 3月 21, 2026 私は今、世の中で起きている大きなニュースを見ていると、それぞれが独立した出来事のようでいて、奥のほうでは共通した構造でつながっているように感じます。イランとアメリカ・イスラエルの対立、ホンダの巨額赤字、みずほFGの人員削減。分野は異なりますが、そこには同じ方向の変化が現れているように思えるのです。 まず国際情勢です。イランとアメリカ・イスラエルは、それぞれが正義を掲げています。しかし正義とは、自分と相手を切り分けたうえで成立する概念です。この分離を前提とした認識の中では、相手は「理解する存在」ではなく「対峙する存在」になりやすく、その結果として衝突が生まれやすくなります。理性は本来、物事を整理し理解するための重要な力ですが、その前提にある分離的な世界の捉え方が、対立を生みやすい構造につながっているのではないかと感じます。 この傾向は産業の変化にも見て取れます。ホンダの赤字は単なる業績の問題にとどまらず、ものづくりの構造の変化を示しているように思えます。内燃機関の時代には、設計だけではなく、最終的な仕上がりに人の感覚が大きく関わっていました。そこに企業や国ごとの「らしさ」が生まれていたのです。しかし電気自動車では、設計と制御の比重が高まり、再現性が高くなります。その結果、どこで作っても一定の水準に近づきやすくなり、差異はコストや条件に寄りやすくなる。この変化は効率化でもありますが、同時に感性が価値として現れにくくなる側面も持っています。 さらに、みずほFGの人員削減のニュースは、AIの進展と重なって見えます。これまで価値を持っていた事務処理や判断といった理性的な業務は、急速に機械に置き換えられつつあります。ここで起きているのは、理性が不要になるということではありません。むしろ、理性が広く共有され、誰もが使えるものになることで、それ自体では差になりにくくなるという変化です。 これらを通して感じるのは、理性の否定ではなく、その位置づけの変化です。理性はこれからも不可欠なものですが、それを中心に据えたままでは、対立を生み、差異を失い、価値を持ちにくくなる局面に入っているように思えます。 その中で重要になるのが、感性や直観といった、人と世界の関係性を切り分けずに捉える力です。これは理性と対立するものではなく、理性では扱いきれない領域を補完するものです。自分と世界の境界を強く引... 続きを読む
意識はどこに宿るのか 11月 17, 2025 私たちはふつう、意識は自分の頭の中に閉じていると思い込んでいる。身体という境界の内部に「自分」という主体があり、そこで思考し、判断し、感情が生まれる。そんな前提から多くの議論が始まる。 しかし、その前提は本当に揺るぎないものなのだろうか。 私は長年、宇宙は多様な存在が散らばっているように見えて、実態としては「ひとつの連続体」であると考えてきた。その中に生まれる人間も動物も、決して孤立した個体ではなく、より大きな全体の中で立ち上がった「視点」に近い。この考え方を採れば、「自分の意識は自分のものだけ」と思い込む私たちの感覚そのものが、再検討を迫られる。 その手がかりとなるのが、人間が持つ「俯瞰性」である。私たちは、自分の心を自分で眺めることができる。「今、私は何を感じているのだろう」と考える瞬間、自分自身を一段上から見ている。さらには、対話をしている相手の内側を想像し、相手が何を考えているかを感じ取ることもできる。この能力は、意識が固定された一点から動かないものではなく、状況に応じて視点を切り替えたり広げたりできることを示している。 もし意識が脳という器官にのみ依存しているなら、このような「視点の移動」は説明しにくい。ところが現実には、人間の意識は明らかに境界を越えた働きを見せる。自分の体の外で起きていることに「入り込み」、さらにはそこで生じている心理的な動きを追体験することすら可能だ。これは意識が単一の器官に閉じていないという示唆に満ちている。 私は、この広がりをもつ意識の性質は、宇宙そのもののあり方と深く関係していると感じている。宇宙は、多数の個が並んでいるように見えて、実際には相互につながった大きな全体性を持つ。その全体性の中に無数の視点が立ち上がるとき、それぞれに「自分」という感覚が生じる。これが私たちが日常的に呼んでいる「自我」である。 自我は、孤立した個体意識ではない。むしろ、大きな全体の中に浮かび上がった局所的な視点であり、状況によって広がったり、相手の内側を想像したり、自分自身を俯瞰したりと、自由に形を変える。それが可能なのは、自我がもともと「閉じた箱」として成立しているのではなく、より大きな意識の流れの中に置かれているからだと考えている。 この視点に立つと、「意識は個人に完全に属している」という前提のほうが、むしろ例外的な理解に見えてくる。自我とは、大... 続きを読む
「こうしたい」で生きていく 6月 05, 2025 昔のドラマや音楽を観たり聴いたりしていると、「今から会わないか?」なんてセリフを見かけることがある。そういえば私も、昔は友達から「今、村さ来(居酒屋)にいるんだけど、来ない?」みたいな誘いがよくあった。 でもいつの頃からか、そういうことが全くなくなった。もちろん、私がもう若くないというのもあるだろう。でも、それだけではない気がする。 今では、人と会うときも、仕事を始めるにも、まずは互いがスケジュール帳を開き、空いている日を探して、その「枠」に予定を入れる。 でもほんとうは、「今会いたい人に会う」「今やりたい仕事をする」でありたいと思っていたりする。そのタイミングを後ろ倒しにしてしまえば、熱はもう冷めてしまうかもしれないのだから。 もちろん、それが現実的に難しいことも理解している。でも、できる範囲でいいから、スケジュールに人を合わせるのではなく、人にスケジュールを 合わ せたいって思う。そのほうがずっと創造的で、ずっと豊かな気持ちで生きることができるんじゃないか。 今のようなスケジュール優先の生き方は、どこか物質主義に侵されてしまっている気がしてならない。「目に見えるもの」「数値化できるもの」ばかりを優先してしまい、感情や偶然は軽視されがちだ。スケジュールは「見える」が、感情は「見えない」からだろう。 スケジュール管理によって得られるメリットは大きいとは思う。しかしその一方で、「今この瞬間の気持ち」を脇に追いやる生き方は、自分自身を疲弊させ、創造性や直感も鈍らせてしまうようにも思う。 だから私は、会社でもみんなに対して「こうすべきだ」という言い方はしない。代わりに「こうしたい」と言うようにしている。そのほうが、人間の熱が感じられるし、創造性も発揮されやすいような気がするから。 続きを読む
「感じること」を取り戻す社会へ 11月 17, 2025 私は、いまの社会がどこか歪んで見える理由は、とてもシンプルなことだと思っています。それは、私たちがいつの間にか 「感じること」を手放してしまったからです。 理性的に物事を見る人が増え、世界を「どう感じるか」より「どう定義されているか」で理解するのが当たり前になった。安全だと言われれば安全、価値があると言われれば価値がある・・。そんな「与えられた意味」のほうが優先されるようになった。人々は次第に「感じること」を億劫に思い、「いいね」の数やエビデンスへと身を預けてしまう。気づけば、自分の内側の声よりも、外側のラベルのほうが強く響く社会へと変わっていった。それが社会をこんなにも冷たく、奥行きを失った世界へと変えてしまったのです。 「効率」「生産性」「タイパ」「コスパ」・・。まるで人間が機械の部品であるかのように扱われる言葉ばかりが価値の中心に座っている。仕事は「楽しい創造」ではなく「最小化すべき負担」になり、生活は「感じる場」ではなく「管理するタスク」に変わった。こうして世界から「体温」が消えていった。 ところで、人はなぜ生きるのでしょうか。私は、人の生きる意味は、宇宙の存在理由と同じだと思っています。宇宙の存在理由は「自分を知りたい」「自分を認識したい」「自分が何者か知りたい」という意思一つで、ここまで多様な存在を生み出してきました。ですから、宇宙の本質は感性なのです。その延長線上に人間という存在が生まれたのなら、人間もまた、感性を通して生きているのが本来の姿です。 だから、理性だけで説明できる生き方をしてしまったら、そこに「生きる意味」など生まれません。それではただの「反応し続ける物質」と同じです。 ところが現代社会は、見えるもの、数値化できるもの、ラベル化できるものだけを価値とし、大切なものほど「当たり前」になって見えなくなる構造を作ってしまった。 社会を土台で支えている仕事、農林水産の人々、自然を守る人々、生活インフラの担い手たち。彼らこそが海(土台)であり、私たちという魚(存在)が生かされている場所なのに、その土台を感じる感性が薄れてしまった。 その一方で、お金という数字で価値が即座に可視化される領域にいる人々、たとえば投資家や金融業のような仕事は、なぜか過剰に高く評価されやすい。価値が「見えやすい」というだけで尊重され、価値の源泉を支える人々が「見えにくい」と... 続きを読む