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7月, 2020の投稿を表示しています

誹謗中傷を防ぐ仕組み

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最近、誹謗中傷に関する話題をよく目にしますね。 先日知ったのですが、ヤフーニュースでは、毎日2万件もの誹謗中傷コメントを削除しているのだそうです。 一方、同じニュースサイトでも、「NewsPicks」というサイトでは、私が知る限り、誹謗中傷コメントを見かけたことがありません。 NewsPickではどのようにして誹謗中傷を防いでいるのでしょうか。自分なりに考えてみました。 まず、NewsPicksには「プロピッカー」といって、編集部が選んだ公式コメンテーターがいます。そのプロピッカーたちは、経営戦略や法律、語学などさまざまな分野の専門家です。 プロピッカーたちは、自身の実名や所属団体、顔写真、経歴までも公表していますので、自分の名誉にかけて有益な情報を読者に提供しようという気持ちが自然に生まれます。 そして、NewsPickでは、そのプロピッカーが書き込んだコメントを優先的に上位に表示される仕組みにしています。 このため多くのユーザーは、専門家である彼らのコメントを必然的に目にするようになり、そのコメントに引っ張られて、自分も質の高いコメントを残そうという気持ちが自然に生まれます。 「割れ窓の理論」というのを知っている人は多いのではないでしょうか。「どうせまた割られるだろう」と修理せずに放置しておくと、割れ窓がどんどん増えていき、やがて犯罪まで起きるようになります。でも放置せずに徹底的に修理をしていくと、自然に割れ窓が減っていく。街もだんだんに綺麗になり、犯罪も減っていきます。 それと同じで、専門家による有益な情報が常に上位にあると、それを見たユーザーも自然に正されていき、誹謗中傷も発生しなくなるのだと思います。 もし、上位に表示されるコメントを、専門家のコメントではなく、「いいね!」が多いコメントを上位に表示させるようにしてしまっていたら、どうなっていたでしょうか。 おそらく、コメントの内容が正しい情報でなかったり、下品な内容だったとしても、刺激的であったり面白かったりすれば上位に表示されてしまいますので、誹謗中傷コメントを誘発してしまうことになるでしょう。ヤフーニュースで誹謗中傷コメントが多いのは、それが原因になっているのだと思います。 つまり、質の高いコメントが上位にあれば、そのあとに続くコメントの自然に質の良いものになっていくし、質の低いコメントが上位にあれば

風の谷のナウシカと社会的共通資本(その3・最終回)

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これからは、「人間の周りに自然がある」のではなく、「自然の中に人間がある」という感覚が必要だ。一見なんでもないようなことだが、これは大きな違いである。 人間の周りに自然があるという考え方は、自然を征服すべき対象と捉えやすい。でも、自然の中に人間があるという考え方なら、人間と自然は一体であると捉えることができる。 私は、そのことを本当に良く知っているのはチームラボの猪子さんだと思う。 https://www.teamlab.art/jp/concept/ultrasubjective-space/ 以下引用──── 世界の見え方と世界に対するふるまいとの間には関係があり、人々の世界の見え方が、人々の世界に対するふるまいに大きな影響を与えている可能性があると考えている。 写真のように世界を見ているときは、見えている世界の中の人になりきったり、見えている世界の中に自分がいたりすることはできない。 現代の人々は、写真や実写の映像などレンズで切り取った世界を常に見ているため、人々は、写真のように世界が見えている可能性がある。人々がレンズのように世界を見るならば、自分と、自分が見えている世界が完全に切り分かれ、はっきりとした境界ができ、自分が見えている世界に自分は存在できない。それゆえに、人々は世界を、自分がいる場所とは違う世界であるかのようにふるまってしまうのではないだろうか。 「超主観空間」で世界を見るならば、自分が見えている世界と、見えている世界の中にいる人が見えている世界はほとんど変わらないことになる。つまり、自分が見えている世界の中にいる人になりきることが容易だったり、自分が見えている世界の中に自分がいるかのような感覚を感じやすかったりするということだ。自分と世界との境界が曖昧になり、自分が世界の一部であるかのような認識をするかもしれないのだ。 ──────── 猪子さんの言っていることを私なりに解釈すると、西洋では自分と自分以外を完全に切り分けて空間を認識し、日本人は「超主観空間」といって、空間の中に自分自身を含めて認識している。 だから西洋では、自然を征服すべき対象と捉えがちになり、日本人は、自然は神であり人間はその一部として一体化して存在していると捉えるのだ。 これは、言い方を変えれば、「自分」の定義が異なる。

風の谷のナウシカと社会的共通資本(その2)

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風の谷のナウシカとコロナ危機を重ねながら、これからの社会について考える中で、宇沢弘文さんという人の「社会共通資本」という思想と出会った。 この思想は、市場経済が深く浸透する社会で、「人間」や「社会」はどうあるべきかという課題意識から生まれたものだという。 古典的な経済学では、もともと自然環境はいわゆる自由財として、誰でも対価を支払わず自由に使用できるものとされた。経済活動の水準が低い頃はそれで問題がなかったのだが、各国の経済活動が活発になるにつれ、大きなほころびが出てきた。 そこで宇沢さんは、以下の3つの資本を社会的共通資本とし、それらは市場原理主義が及ぶべきではないと考えた。 1つ目は、大気、河川、海洋、森林などの「自然資本」 2つ目は、道路、公共交通機関、上下水道、電力などの「社会資本」 3つ目は、病院、学校教育、医療、金融、司法、行政などの「制度資本」 私はこの宇沢さんの思想を極めて素直に受け入れることができる。なぜかというと私は以前から西洋と東洋の違いからそれを感じていたからだ。 これはとても自覚しにくいことなのだが、西洋では「人間の周りに自然がある」という考え方が根底にあり、東洋には「自然の中に人間がある」という考え方が根底にある。 なので日本人にとって自然は神であり、人間はその一部として一体化して存在している。 しかし西洋ではそれが逆で、個は自然環境を自分の幸福のために好き勝手に使っていいという考え方がある。それどころか自然環境を征服すべき対象として見ているところがある。 実際、1980年代にアメリカのミルトン・フリードマンらが唱えた「新自由主義」は、世界に広く普及し今もなお、私たちの社会に根付いているが、この思想は、大気や海の水までも私有制が導入され、徹底した市場メカニズムにまかされている。したがって、前述の社会的共通資本は根源から否定されてしまっているのだ。 だからどうしても自然環境への感謝と配慮を怠ってしまい、結果、その維持費以上の莫大な損失を生み出してしまっているのだ。 だからこそ私は、人間の周りに自然があるのではなく、自然の中に人間があるという感覚が必要だと思う。一見なんでもないようなことだが、これは大きな違いである。 この宇宙は何もないところから作られた。何もない宇宙から銀河が生まれ、

風の谷のナウシカと社会的共通資本(その1)

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先日、映画館で「風の谷のナウシカ」を観た。いま私たちが直面しているコロナ危機と、この映画のストーリーとを重ねながら、これからの社会を考えてみたかったからだ。 風の谷のナウシカには漫画版があり、実は映画版はそれの半分も描かれていない。ただ、そう言ってる私も、漫画版については全部を読んでおらず、断片的にしか内容を知らないのだが、以降はその両方を踏まえて書いてみたいと思う。 この作品に出てくる「腐海」と呼ばれる森。これは巨大な菌類(腐海植物)の森で、マスク無しで立ち入ると5分で肺が腐ってしまうほどの瘴気が漂っている。 しかしすべての生き物や自然を愛する心を持ったナウシカは、以前からその腐海の胞子を集め、自分の城の地下にそれらを持ち込み研究をしていた。そして、綺麗な水や土で育てれば瘴気を出さないことを知る。実際に腐海の下層部に落下したときも、大気が清浄であることを確認し、実は腐海は、汚染された世界を浄化しているのだということに気がつく。 そしてこの腐海は、漫画版では、「旧人類が世界を浄化するために人工的に作ったもの」とされている。旧人類は、腐海によって世界を完全に浄化した後、絶滅した動植物や科学文明勃興以前の文化を復活させるとともに、穏やかで賢い新人類をこの世に生み出し、世界を再建しようとしていたのだという。 これらのストーリーを、いま起きているコロナ危機に当てはめて解釈すれば、誰かがコロナによってたくさんの人々を犠牲にしながら、世界を浄化(たとえば世界経済をリセット)させようとしているということになるが、陰謀論のような話になってきてしまうので、これ以上の言及は避けようと思う。 いずれにしても、私はコロナという病気は、現代社会の歪みが生み出したものだと思う。発生源は武漢なのかも知れないが、原因は武漢にあるというよりは、そういう事態を引き起こさざるを得ない状況を作った現代社会が原因と考えるべきだと私は思う。 ではこの社会をどのように変えていけば、今回のような危機を防ぐことができるのか──。とても難しい問題だ。 ちょうどそう思っているときに、宇沢弘文さんという人の「社会的共通資本」という思想と出会った。 この思想は、市場経済が深く浸透する社会で、「人間」や「社会」はどうあるべきかという課題意識から生まれたものだという。(続く)

人類社会の大きな潮流

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いま、人類社会には、グローバル化からグローカル化へ、中央集権型から自律分散型へ、画一化からパーソナル化へという、大きな流れがあると私は思っています。 その流れは、もう既に目に見えるかたちで社会に現れてきています。 たとえば今回の緊急事態宣言がそうです。国は宣言の発令はするけれども、具体的な対策は各自治体が決定しています。私たちは同じ日本人ではありますが、各自治体によってそれぞれ産業も異なれば風土も異なります。沖縄と北海道でまったく同じ対策をするのは無理があるのです。なので、小さい単位ごとに裁量が与えられることで、より素早く的確な判断が可能になります。 もうひとつ例をあげるとすれば、Netflixがそうです。Netflixというのは、マスでなく個人に向けてコンテンツを制作しているそうです。つまり、これまではどういう作品が人気なのかを統計をとり、その結果に合わせて作品を制作してきました。でもNetflixは、個人に向けて作品を制作しています。そのことによって体験価値のクオリティを上げ、ヒット作品に繋げているのです。 そもそも私たち人間は、一人ひとりそれぞれ異なったライフスタイルや考え方を持っています。平均とまったく一致する人など誰一人としていないのです。人々はそのことに無意識ながらも気が付いてきています。だからこそ、それが社会現象となり、グローバル化からグローカル化へ、中央集権型から自律分散型へ、画一化からパーソナル化へという流れが起きているのです。 実は私たちオリジナルマインドも、これを意識した活動をしています。それは「ブランド経営」です。全ての人に好かれようとするのではなく、私たちがターゲットと決めた人たちに向けて製品とサービスを作っています。 こうした動きは、「自立した個が有機的に連携して社会全体を幸せにしていく活動」と言うことができます。それぞれの個人や企業、自治体が、自分たちのできることを通して人類社会全体に貢献していく活動であるということです。 これまでの人類社会は、多くの人たちが「この世の中をどう生き抜くか」という視点で社会を見てきました。しかし、少しずつ「自分は世の中に何ができるか」という視点に変わってきています。 「世の中をどう生きるか」という考え方は、狩猟民族の名残であり、植民地支配の名残です。「ビジネス」という

テレワークできない会社は強い?

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テレワークを導入する会社が増えていますね。でも、私たちの会社はモノづくりの会社ですから、現物が会社にある以上、どうしてもテレワークだけで仕事を完結させることができません。(完結できないというだけで、全員がテレワークできないという意味ではありません) でも、私は逆にそれが強みだと思っています。そう思う理由を書いてみたいと思います。 たとえば、最近「グーグルしごと検索」というサービスを知りました。つい最近までは「Indeed に求人記事を載せると検索結果で上位のほうに表示される」と聞いていたのですが、今はグーグルしごと検索に登録したほうが上位に表示されるようになったそうです。なので当社では Indeed を使わなくなりました。もし多くの会社がそうするようになれば、Indeed にとっては困った問題になると思います。 食べログでも同様のことが起きていると思います。以前はたとえばイタリアンのお店を探すとき、スマホで食べログのアプリで条件を設定してお店を探していました。でも今は、グーグルで普通に「イタリアン」と検索すれば、現在地周辺のイタリアンのお店がいくつも表示されるようになっています。なので私は食べログをあまり使わなくなりました。これも食べログからすれば困った問題です。 もしかしたら、ホテルの予約とかもグーグルでできるようになれば、楽天トラベルとかもいらなくなってしまうのかもしれません。 私はテレワークで完結する仕事、つまり、モノを何も生み出さない会社というのは、分野にもよりますが、このように1つの巨大企業が市場を独占してしまうことがあるため、その波に飲み込まれやすいのではないかと思っています。 それに比べてモノというのは、ブランド力を付け加えやすいという利点があります。たとえば同じタバコでも、顧客から「この銘柄のタバコが好き」というふうに思ってもらえる。なので銘柄がたくさんあっても寡占化が起きにくい。つまり、巨大なタバコメーカー1社にすべての銘柄が飲み込まれてしまうようなことが起きにくいと思います。 なので、モノを生み出す仕事で、かつ、ブランド力を持つことができれば、私はとても強い会社にすることができると思っています。働く社員も、ひたすら時間とコストに追われるような生活をしなくて済みます。 だからこそ当社では、製品に作品的な価値を付

不老薬「ラパマイシン」

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最近「ラパマイシン」という不老薬があるのを知りました。いろいろな不老薬がある中で最も効果が高いことが既に証明されている薬で、マウスや犬では実証済みだそうです。あとは人間で試すのみという段階に来ているとのこと。 こういう薬を多くの人が服用したら私たちの社会はどうなるのか。 私は多分、「個」にとっては嬉しいことかも知れないけれど、人類「全体」にとっては不幸を生むだろうと思っています。というのは、私は、「人類は全体を発展させるために個を犠牲にしてきた」のではないかと思っているからです。 おそらく人類は、この地球上にまだ人類が少ない頃、他のたくさんの生命体がいる中で「覇者」としての地位を獲得するために、とにかく「人類全体を発展させること」を何より重要に考えてきたのではないかと思います。 そのためには、「個」の寿命が長すぎることは、かえってデメリットになる。 これを会社にたとえると、たくさんいるライバルの中で生き残っていくためには、会社の中に年寄りばかりがいてもダメなのだと思います。年寄りは経験や知識は豊富でも、それゆえに行動力や適応力が劣る。だから新しい人も入れて、新陳代謝を行っていく必要があります。 人類も同じで、人類を継続的に発展させていくには、個が長生きすることはかえってマイナスになるのではないでしょうか。古いものがなくなり、新しいものに入れ替わっていくほうが人類が発展しやすいのだと思います。 だから人類は、あえて人間に「死」という機能をつけたのではないか。つまり、本来人間はもっと長く生きられる生き物だけれども、そこにあえて「死」という機能を後からつけたという考え方のほうが私には自然に感じられます。つまり、人類全体の発展のために、個に「死」という機能を付けたのではないかという考え方です。 「クールー病」という病気があります。これは人間が人間の肉を食べると発症する病気で、罹患すると脳細胞がスポンジのようなスカスカの状態になり、死んでしまうと言われています。 なぜ人間の肉を食べると死ぬかと言うと、人間同士が互いの肉を食い合うようなことをしていたら、人類が絶滅してしまう危険があるからだと思います。人類全体にとってよくないことだから、後からそれを防ぐ機能をつけたのだと思います。 さらに例をあげるとすれば、私たちは血縁関係の人間に

プレステ4の裏側

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プレステ4の裏側 ソニー社員も見られないロボの指先 https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/sony-playstation/ この記事のタイトルは「ソニー社員も見られないロボの指先」ということで、記事には指先の写真が多いのですが、実はそこはあまり重要ではありません。指の根元のほうをみると「力覚センサ」とカメラが付いています。これがあるからこそ、それまでロボットが苦手だったケーブルやテープ状の部品といった「柔軟物」をハンドリングすることができているのだと思います。 使用されている力覚センサは、おそらく三菱の「1F-FS001-W200」というタイプ。それがI/Fユニットを通してロボットコントローラに接続されているはずです。カメラはなぜかソニー製じゃなくて、Point Grey Research(現在のFLIR Systems)製が使われていますね。CC-linkのリモートI/O(たぶんAJ65VBTCE3-32D)が写っているので、PLCは間違いなく三菱でしょう。 ちなみに「力覚センサー」というのは、ロボットに繊細な力感覚を持たせることができるセンサーです。比較的新しいセンサで、私が実物を初めて見たのが3年前です。このセンサの誕生によって柔軟物をハンドリングできるようになったのだと思います。 記事にも書かれていますが、この生産ラインには32台のロボットがあり、そのうち26台が柔軟物の作業工程に使われているそうです。なので、このセンサーの存在は極めて大きいと思います。 私は昔、半導体の製造ラインで半導体チップと基板を超高精度でボンディングする装置を作ったことがありますが、その頃は、力覚センサーなんてありませんでしたし、ディープラーニングカメラもありませんでした。私の感覚ではこの5年ぐらいで自動化技術はかなり高まった気がします。 そのようにしてどんどん自動化技術が高まっていくと、中国よりも安く生産できる製品がどんどん増えていきます。実は中国はそれほど安くありません。なぜなら中国は工場を建てるにも多額の賄賂が必要だったり、社員がトラブルを頻発したり、知的財産を勝手に持ち出したりして、リソースの浪費が大きいからです。 それに今、世界の国々は中国に対する信頼感を薄めており、このまま中国に依存し続けるのは危