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私たちが見ている「現実」はどこまで本物か?

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現実とは何か 私たちは、五感によって世界を直接感じていると思っています。しかし実際には、私たちが見ているのは「外界」そのものではなく、脳がつくり出した仮想的な映像です。視覚・聴覚・触覚などから入った情報は、電気信号として脳に伝わり、脳の中で統合・変換されて、ようやく「現実」として体験されます。 このしくみを理解すると、「現実」とは私たちの外にあるのではなく、脳という装置がつくり出した内部モデルに過ぎないことがわかります。 モリヌークス問題 このことを示す代表的な思考実験に「モリヌークス問題」があります。生まれつき盲目の人が、手で触れて球体と立方体の違いを理解していたとします。その人が手術によって視力を得たとき、見ただけで球体と立方体を見分けられるでしょうか。答えは「見分けられない」。なぜなら、「見る」という行為は、目の機能だけでなく、脳が視覚情報をどのように意味づけるかを学習して初めて成立するからです。 つまり、私たちは世界を「見ている」のではなく、「脳がつくった世界を見ている」。見るという行為そのものが、再構成された体験なのです。 「無眼耳鼻舌身意」を科学的に読む この構造は、古代の思想でも示唆されています。「眼・耳・鼻・舌・身・意」。これらの感覚器官は、世界を感じ取る窓のように思えますが、実際にはそのどれもが、外界の一部を取り込み、脳が「再構成」するための入力装置にすぎません。 現代的に言えば、私たちが知覚しているのは「外界」そのものではなく、脳内で生成された仮想現実です。神経科学の研究でも、脳は入力された情報をそのまま再現しているのではなく、「予測」と「修正」を繰り返しながら、もっとも整合性の取れた世界を構築していることが分かっています。私たちは真実そのものを見ることはできず、常に脳の作り出した仮想現実の中を生きているのです。 世界は「意識が自分を観察する場」 この構造をさらに俯瞰すると、興味深いことが見えてきます。もし私たちの体験する世界が脳の中で生成されているとすれば、「世界を認識する意識」とは、自分自身の活動を観察している意識でもあります。 この観点から見ると、宇宙全体は「意識が自分を知るためのプロセス」とも言える。私たち一人ひとりの知覚や感情、思考は、「意識という根源的な存在」が自分自身を観察し、理解するために投影した現象かもしれません。 つまり、私た...

理性から感性へ ~経営の軸が変わる~

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私はずっと前から、時代は理性から感性へと移行していくと感じてきました。その最もわかりやすい例が、「AIの進化と普及」だと思います。 AIの登場によって、経営判断の多くは合理的かつ正確に行えるようになりました。しかし、それは同時に、誰が使っても似たような答えに行き着くということでもあります。AIに頼る経営は、過去のデータと他社の傾向をなぞるような判断に収束し、結果としてどの会社も似た戦略をとるようになる。つまり、AIを使うほど個性が失われ、差別化が難しくなるのです。 そして、外側の基準に頼っている限り、競争から抜け出すことはできません。「AIがそう言っている」「データがそう示している」「みんながそうしている」。そうした外側の基準による判断には、自分の意思が存在しない。そこにあるのは正しさであって、想いではありません。 だからこそ、これからの経営者に求められるのは、自分の内側を見つめる力だと思います。自分がいま何を感じているのか、何に違和感を覚え、何に共感しているのか。その感覚を判断の基準にできなければ、外側の合理性に流されてしまいます。 経営とは、本来「こうしたい」という意思を社会に形として表す行為です。理念とは、まさにその「こうしたい」という願いを言葉にしたものだと思います。それは理性で設計するものではなく、自分の心の奥から湧き上がる感覚から生まれるものです。 AIの進化によって、理性的な判断の精度は限界まで高まりました。しかしその結果、私たちはあらためて問われるようになったのです。「自分は、どう感じているのか」「何をしたいと思っているのか」。外側の基準ではなく、自分の内側に軸を取り戻すこと。その姿勢こそが、感性の時代を生きる上で最も大切なことだと思います。