FabLab Shibuyaさんに当社のRD300があります リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 14, 2015 FabLab Shibuyaさんは、当社のKitMill RD300を設置してくださっています。当社はネット販売のみで店頭販売はしていないため、もしRD300の実物を見たいというお客様で関東地域にお住まいの方は、FabLab Shibuyaさんをご利用いただければ幸いです。ほかの機種についてはこちらをご覧下さい。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
KAZKINさんの美しいゴム銃 10月 22, 2015 先日ものづくり文化展に投稿してくださった KAZKINさまのフェイスブック を拝見していたら、 「CNCフライス始めました。」 という記事に辿り着きました。思えばKAZKINさんには、3年ぐらい前に 「ゴム鉄砲製作のようす」 というページを作る際に「ストライクディンゴ」というカッコいいゴム鉄砲のデータを頂き、大変お世話になりました。KAZKINさんはその時はまだ手加工でゴム銃を作っていらしたと思うのですが、今回のご投稿を拝見したら、CNCやアルマイトを駆使したそれは美しいゴム銃を作っていらして大変感動しました。動画までが美しく作られており、KAZKINさんのセンスの高さが伺えます。それにしてもこのゴム銃って、すごく男の心をくすぐりますね。撃った時に手に返ってくる反動とか、カシャっていう動作音とかたまらないと思います。その上この美しさですからね。 その 「CNCフライス始めました。」 の記事には、「仕事でボール盤やバンドソーを扱う程度で、文系卒の僕は機械に詳しくありません。先端の工作機械を自分で組み立てるのは不安でした。でも案外やってみたら簡単で楽しかったです。仕組みを理解できたので、今後何かあっても臆することなく分解して調整することができます。完成品を買ってたらそうはいかないと思います。」という言葉がありました。私はお客さんにそう思って頂けるよう商品提供をしてきたので、この言葉は本当に嬉しいです。また、このページからは大切にCNCを使ってくださっている様子が伝わってきて、そのこともすごく嬉しく感じました。 そのKAZKINさんが、あのデアゴスティーニさんを通じてKAZKIN2120.R.B.GUNSというメタル輪ゴム銃を発売する事になったそうです。もう予約開始しているそうなのでぜひチェックしてみて下さい! 続きを読む
世界の究極の支配者は誰か 1月 19, 2026 私は時々、この世界を支配している究極の存在は誰なのか、世界の頂点に立つものは何なのか、そんなことを考えることがあります。しかし、その問いを突き詰めていった先に何があるのかを考えると、結局のところ、それ自体はあまり意味のある問いではないのかもしれない、と思うようになりました。 なぜなら、私たちが「世界の支配構造」と呼んでいるものは、実は私たち自身の精神構造そのものではないか、と感じるからです。仮に、どこかに究極の支配者が存在し、その者が自分の思うままに人々を支配しているとします。私たちはその存在を非難し、叩き潰し、排除しようとするでしょう。しかし、そのときに働いている私たちの精神は、支配者の精神と本質的に同じではないでしょうか。自分の正しさを掲げ、相手を否定し、排除する。その構造自体が、すでに支配の論理だからです。 そもそも、善悪というものは絶対的に存在しているのでしょうか。私はそうは思いません。善悪とは、あらかじめ世界に備わっているものではなく、それぞれの人の認識の中に生まれるものです。世界はただ在るだけであり、そこに善悪の意味づけをしているのは、私たち一人ひとりの認識作用です。経験や知識、積み上げてきた判断基準、生まれながらに持っている性質、そうしたものがフィルターとなって、「ただ在るもの」を見ています。 その意味で、私たちは基本的に錯覚の中で生きています。自分の認識作用が生み出した世界を、あたかもそれが唯一の現実であるかのように信じて生きている。しかし、だからといって、この社会の支配構造をそのまま放置してよい、という話にはなりません。私が言いたいのは、支配者を批判し、排除すれば問題が解決する、という単純な話ではないということです。精神構造が変わらないかぎり、支配者を入れ替えただけで、同じ構造が何度でも繰り返されるからです。 では、何を変えなければならないのか。それは、私たちの認識作用そのものです。これは「観点」と言い換えてもよいでしょう。その観点を通して見た世界こそが、それぞれの人間にとっての宇宙です。観点が変わらないかぎり、世界も変わらない。この観点を健康にすることこそが、究極の解決なのだと私は考えています。 ここで、いつも私が話している「感性と理性」の問題が浮かび上がってきます。現代社会では、多くの人が世界を「理性」というフィルターを通して見ています。理性は... 続きを読む
理性から感性へ ~日本的空間の示す転換~ 10月 31, 2025 私はずっと前から、時代は理性から感性へと移行していくと感じてきました。その理由を、チームラボ代表・猪子寿之さんがTEDで語った「日本文化と空間デザイン」の話を通して考えてみたいと思います。 日本文化と空間デザイン~超主観空間~ | 猪子 寿之 | TEDxFukuoka この講演はもう10年以上前のものですが、彼が語った内容は今なお深い示唆を与えてくれます。彼はそこで、西洋と日本では「空間の見方」が根本的に異なると述べています。 西洋では、世界をひとつの視点から捉える「パースペクティブ(遠近法)」が発達しました。画面の中には必ず「見る主体」が存在し、その視点から見た世界を描く。この構造の中では、世界はつねに「自分の外側」にあります。自分と世界、自分と他者、自分と自然。すべてが分離され、客観的に観察・制御される対象として置かれる。それは、科学や技術、そして近代的理性の発展を支えてきた大きな基盤でもありました。 一方で、昔の日本人の空間認識はまったく違いました。日本画には明確な視点がなく、画面の中に複数の時間と空間が同時に存在しています。それは「レイヤー状の世界」ともいえる構造で、そこでは「見る者」と「見られるもの」が溶け合っています。つまり、自分と世界のあいだに境界線が存在しない。人間は自然の中の一部であり、世界そのものと共に息づく存在だったのです。 この違いは、建築を見ても明らかです。西洋建築は壁によって外と内を明確に分け、強固な構造体としての「箱」を作ります。一方、日本建築では、外と内の境界はきわめて曖昧です。柱と梁で支えられた開放的な空間に、障子や縁側といった可動的な仕切りが置かれ、風や光や音が自然に通り抜けていく。建物は「閉じるもの」ではなく、「自然とつながるための場」として設計されているのです。 このような空間観の違いは、単なるデザインや技術の差ではなく、人間の世界の認識構造そのものの違いを表しています。西洋的な空間認識は、「分ける」ことを前提にしています。そこでは主体と客体が分離され、世界は「自分とは別のもの」として管理される。その意識が進むと、社会のあらゆる領域で「分断」と「支配」が強化されていきます。自然は制御すべき対象となり、経済は競争を前提に動き、人間関係も利害で切り分けられていく。こうして生まれたのが、いま私たちが生きている「理性の文明」です。 ... 続きを読む