熱間鍛造でクルマのパーツをつくっているところの動画 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 05, 2017 熱間鍛造でクルマのパーツをつくっているところの動画。これほどの製造技術が確立されるまでには、気が遠くなるほどの試行錯誤の繰り返しがあったことでしょう。偉大なる先輩技術者に対して尊敬の気持ちが湧いてきます。 ソース元:環境ビデオのような、美しい熱間鍛造の動画です リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
小さな行動が世界を変える 11月 11, 2024 少し前、経営理念をつくるには、「なぜやるのか」に焦点を当てることが大切だと書きました。その「なぜ」を掘り下げていくと、自社の活動がどのようにして人類社会に貢献できるか、という問いに行き着きます。ただ、人類社会という言葉を聞くと、「そんな壮大なことまでは考えていない」という風におっしゃる方もいらっしゃいます。けれど、どんなに小さな行動でも、社会に何らかの影響は与えているものだと私は思っています。 「バタフライエフェクト」という言葉をご存知でしょうか。その意味は、「ある場所で蝶が羽ばたくと、地球の反対側で竜巻が起こる」というものです。これは、ほんの小さな行動が、連鎖的に大きな影響を生むことを表しています。この理論は、私たちの行動にも当てはまると思います。日々のちょっとした行動が、実は全世界に影響を与えているのです。 私は時折、夜空を見上げて感じることがあります。無数の星が輝いていますが、もし、そのうちのたった1つでも欠けていれば、この宇宙のバランスは少し変わっていたのではないかと思うのです。だとすれば、この地球は今の姿とは少し違ったものになっていたかもしれない。それどころか誕生さえしなかったのかもしれません。それほどに、すべての存在は互いに影響しあっているのだと思います。 ですから、日頃の仕事では、貢献する相手が目の前のお客さん一人であったとしても、その影響は一人だけではなく、全世界に広がっているのだと思います。つまり、私たち一人ひとりが常に世界を変えているのです。 私たちは決して世界から分離独立して存在しているのではなく、世界と密接に繋がっています。一見小さな働きであっても、それは世界を変えていることになるという認識が必要です。それが自分の仕事への誇りに繋がると思いますし、その繋がりを意識することで、私たちはより良い行動を選び、社会に貢献していけるのです。 私たちは、この地球をより住みやすい場所に変えていくという使命をもっていると思います。それぞれの役割は異なっているけれど、私たちはみな同じ目的をもった「同志」です。この意識を持つことで、人類全体が良い方向に導かれ、その結果として自社も成長していくのではないでしょうか。 続きを読む
ワクチンについて思うこと 8月 20, 2021 よく薬局で抗生物質をもらうと、「必ず最後まで飲み切ってください」と言われますよね。それはなぜかと言うと、細菌が耐性を獲得してしまうからだと思います。 途中で飲むのをやめると、体に残った細菌が薬に慣れて、どんどん強くなっていってしまい、次に同じ抗生物質を飲んでも効かなってしまう。なので、中途半端に飲むことは、細菌に対して耐性獲得のチャンスを自ら与えてしまうことになるのだと思います。 実際、抗生物質の開発は、細菌の耐性獲得との戦いで、いたちごっこを繰り返しています。開発しても細菌はすぐに耐性を獲得してしまい、薬が効かなくなるという現象が起きているようです。 実はこれと同じことが起きているのが、デルタ株による新規感染者急増なのではないかと私は思ったりしています。 最近、「デルタ株の出現により、集団免疫の獲得は不可能」といった報道を聞くようになりましたね。これはもしかしたら、ワクチンの普及スピードよりも、ウイルスの進化スピードのほうが上回ってしまったからなのかも知れないなあと。 ワクチンの接種が始まったころ、これで集団免疫が獲得できると期待しました。でも、ワクチンの接種は一気には進まないので、その間にウイルスが耐性を獲得してしまい、それで集団免疫獲得が困難となってしまったのではないか。 そうだとすると、もしワクチン接種を普及させるなら、できるだけ世界同時に短期間で一気に接種するべきなのかも知れません。最も良くないのは、中途半端になってしまうことだと思います。それは抗生物質と同様で、ウイルスに進化のチャンスを与えてしまうからです。 ウイルスは本来、弱毒化する傾向があると以前どこかで聞いたことがあります。ウイルスは単体では増殖できません。だから宿主を必要とします。宿主が死んでしまえば自分も死んでしまうので、共存するために本来は弱毒化していくらしいのです。しかし中途半端にワクチンを普及させてしまうと、本来は弱毒化するはずが、逆に強くしてしまう可能性がある。 私は、人間とって病気とは、体の不調を知らせるサインであると思っているのですが、それと同じで、このコロナの感染拡大は、人類全体の不調を知らせるサインだと思っています。人類というのは、それぞれがバラバラのように見えても、実は全体で一つの生命体だと思うからです。なので、コロナは人類にとって「敵」というよりは「味... 続きを読む
日本のものづくりへの提言 ~感性と技術の融合で描く未来~ 1月 16, 2025 日本のものづくりがこれからも世界で評価され続けるためには、作り手の「感性」を最大限に活かす製品をつくること、そして所有者の「感性」に響く製品をつくること。この2つが極めて重要だと感じています。これらを追求することが、日本のものづくりの強みを最大限に引き出す鍵だと思うからです。 作り手の「感性」を活かす製品づくり 作り手の感性とは、経験を通じて培われる勘やコツ、微妙な違いを見抜く力のことです。日本人は、何かを使ったときに「どうもしっくりこない」「なんだか違和感がある」といった細やかな問題を敏感に感じ取る能力に長けています。この繊細な感性こそが、世界に誇る高品質な製品を数多く生み出してきました。 しかし、以前に比べ、この優れた感性を活かす場面が減ってしまったと感じます。とくに家電製品がそうです。かつてはアナログ回路が多くを占めていた内部回路も、現在ではデジタルに置き換えられ、多くの機能がプログラムで実現されています。これにより、職人の感性による微妙な調整は不要となり、プログラムの変更で対応できるようになりました。感性が求められない製品では、競争力の源泉が価格に集中するため、日本の家電産業は人件費の安い国との価格競争に直面し、かつてのような優位性を保つことが難しくなったのです。 一方で、エンジンの開発では日本人の感性が今もなお活かされ続けています。燃焼プロセスをコンピュータでシミュレーションする技術は進歩しましたが、それだけでは優れたエンジンを生み出すことはできません。燃焼時の微小な乱流や局所的な燃焼挙動を完全にモデル化するのは困難であり、膨大な試行錯誤と実験が不可欠です。この過程で重要なのが、作り手の感性による微調整です。エンジン音や振動、燃焼効率といった数値では測れない要素に対して微調整を加えることで、日本のエンジンは世界が追いつけないほどの高い性能を維持しているのです。このことは、日本のものづくりの未来を考える上で、重要な示唆を与えてくれています。 所有者の「感性」に響く製品づくり 次に、所有者の「感性に響く」製品づくりについて考えてみます。感性に響く製品の代表例は、機械式腕時計です。人々が高いお金を出して機械式腕時計を購入する理由は、単に時間を知るためだけではありません。むしろ、それだけならデジタル式のほうが正確だし価格も手軽でしょう。機械式腕時計が持つ魅力は、そ... 続きを読む
オリジナルマインドはおかげさまで創立20周年を迎えました。 4月 04, 2017 昨日は入社式でした。同時に当社はおかげさまで創立20周年を迎えました。 今年迎える新入社員は18歳。彼が生まれる以前から当社は存在していたことになり、なんとも感慨深い気持ちになります。 中村一からみなさまへ ~創立20周年によせて~ http://www.originalmind.co.jp/company/message/foundation/ 続きを読む
田中久重さんの万年時計 12月 31, 2016 あまりよくないニュースが続く東芝ですが、その東芝の創業者である田中久重さんの作ったこの万年時計は本当に素晴らしくて、私はこの動画をもう何回も見ています。 そういえば先日、六本木ヒルズで開催されていた「宇宙と芸術展」に行ってきたのですが、そこには同じく田中久重さんのつくった「須彌山儀」という模型が展示されていました。その展示の横には「田中久重」とだけ書かれていて、東芝の創業者としては紹介されておりませんでしたが、私は田中久重さんがどれだけすごい人かということをこの動画で知っていたので、その田中久重さんが作った模型を、実際にこの目で見れることにとても感激しながら拝見しました。 「須彌山儀」という模型は、仏教の宇宙観である須彌山説(天動説)に基づいて、西洋のオーレリー(天球儀)からの影響を受けて作られたとされるものだそうです。完成したのは嘉永3年(1850年)だそうですが、万年時計は下記の説明によると嘉永3年から翌年にかけて製作されたとありますので、須彌山儀を作ってすぐに万年時計の製作に取り掛かったことになります。天体の動きが今ほど明確にわかっていない時代だからでしょうか、同時期に宇宙観の異なる二つの時計を作ったというところに感慨深いものを感じます。 http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/toshiba_history/clock/index_j.htm 動画によれば、田中久重さんは土御門家というところに入門し天体の動きを学んだそうです。仕事が終わったあと、毎日8キロ離れたその土御門家に歩いて通い、夜遅くまで天体を学んだと言います。そして万年時計は、田中久重さんが48歳のときに作り始めたそうです。私は現在47歳ですが、それを聞くと身の引き締まる思いです。 続きを読む