【機械を作るキカイ】#01 バンドソーの作り方 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 18, 2021 このバンドソーは、当社のデスクトップ型CNCフライス「KitMill」と、金属折り曲げ機「MAGEMAGE」で作りました。ぜひ動画をご覧ください。https://youtu.be/2cANhMnU24o リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
ネパールの政変とカーク銃撃に見る、物質主義の限界 10月 07, 2025 先日、ネパールで、政権に対する大規模な反政府デモが起きました。アメリカでは、チャーリー・カークが講演のさなかに銃撃され、命を落としたといいます。どちらも日本ではあまり報道されていないようですが、歴史の大きな転換点を感じさせる重大な出来事のように感じます。そして、この二つの出来事は、一見無関係のように見えますが、私には共通の流れがある気がします。 この世界を長く支えてきたのは、理性主義や物質主義の世界観です。人と人、国家と個人、支配者と被支配者というように、あらゆるものの境界を明瞭に切り分け、その上に法律や組織、経済の仕組みを作り、効率と利益の論理で世界を動かそうとしてきました。宇宙や自然、生命という奇跡としか言いようのない神秘神聖なるものをも物質と同列に扱い、世界を管理対象かのように見る態度です。ちょっと乱暴な見方をしてしまっているかもしれませんが、そう感じるのです。 ネパールの動きには、外部の資金や情報が関わっているという話もあります。でも私には、それ以上に、支配の仕組みが寿命を迎えつつあるのではないかと思うのです。乾いた計算から生まれる理性だけでは、人の心はもう動きません。その奥にある「共感」や「つながり」への渇望が、世界を少しずつ動かしているのかもしれません。 カークは、聖書や歴史を手がかりに、学生たちと真正面から向き合ってきたそうです。誰かを打ち負かすためではなく、人が誠実に生きるとは何かを探りながらです。その声は、物質主義の世界が理解できない領域「人は一つの大きなものと繋がっている」という感覚を呼び起こしていたように思います。彼が銃撃されたという事実は、支配する側が「正しく見えてしまう理性のからくり」からの目覚めを恐れている証なのかもしれません。 理性は社会を支えるためには欠かせない道具です。しかし、それだけを絶対視した世界は、いつか必ず、人の奥深い部分と衝突します。その衝突が、いま世界のあちこちで起きているのではないでしょうか。 支配する側は焦りを感じているのでしょう。だからこうした事件が起きるのだと思うのですが、皮肉なことにそれらが繰り返されることで、このシステムは、自ら崩壊するスピードを加速していくように見えます。夜明けは、もうすぐそこまで近づいているのではないでしょうか。 続きを読む
宇宙のしくみ ~無と有のあいだ~ 第一章 10月 27, 2025 第一章 磁束というモデルで見る宇宙の本質 すべては一つの流れであり、極は人間の認識がつくる 私は、棒磁石の磁束をモデルにすると、宇宙の根本構造を明確に説明できると感じています。磁石の中と外では、エネルギーが途切れることなく流れています。内部を貫く流れは外へ抜け出し、空間を回り込みながら再び内部へと戻る。この一連の動きが磁束です。つまり、磁束とは始まりも終わりもない一つの連続した流れであり、その全体が「存在」と「非存在」の境界をつくり出しています。 人間は、その流れが向きを変える部分を「S極」や「N極」と呼んでいます。けれども、実際にはSもNも、そこに固定された実体として存在しているわけではありません。存在するのは、ただ流れそのものです。極というのは、私たちの認識がその流れの一部を切り取って名づけただけに過ぎません。 折っても現れるSとN この真実を最も簡潔に確かめる方法は、棒磁石を半分に折ることです。Sだけ、Nだけを取り出そうとしても、折れたそれぞれの磁石に再びSとNが生まれます。さらに半分に折っても、同じ結果になります。この体験が示すのは、SとNという対立は分離不可能であり、宇宙の本質は「分かれていてもつながっている」ということです。私たちは目に見える境界を「実在」と錯覚していますが、その奥ではひとつながりの流れが絶えず動き続けているのです。 この現象は、量子力学における「場」の考え方にも通じています。電子や陽子のような粒子も、実体としてそこにあるのではなく、エネルギー場のゆらぎが一瞬形をとった現象にすぎません。つまり、宇宙とは「流れ」であり、「関係」であり、「変化」です。存在は固定されたものではなく、絶え間ない生成の中にあります。 色即是空、空即是色 この原理は、古代から人間が直感的に感じ取ってきた真理でもあります。般若心経にある「色即是空、空即是色」という言葉は、まさにそれを示しています。SもNも本来は空であり、固定的な実体ではない。しかし空であるからこそ、形として現れることができる。SとNは、太極図でいえば陰と陽であり、量子場でいえば粒子と反粒子にあたります。この二つは相反しながらも、根源では一つのものです。対立することで世界が動き出し、変化が生まれ、時間という感覚さえも発生するのです。 人間が「有る」と感じるためには、必ず二つの関係が必要です。Sだけ、Nだ... 続きを読む
「こうしたい」で生きていく 6月 05, 2025 昔のドラマや音楽を観たり聴いたりしていると、「今から会わないか?」なんてセリフを見かけることがある。そういえば私も、昔は友達から「今、村さ来(居酒屋)にいるんだけど、来ない?」みたいな誘いがよくあった。 でもいつの頃からか、そういうことが全くなくなった。もちろん、私がもう若くないというのもあるだろう。でも、それだけではない気がする。 今では、人と会うときも、仕事を始めるにも、まずは互いがスケジュール帳を開き、空いている日を探して、その「枠」に予定を入れる。 でもほんとうは、「今会いたい人に会う」「今やりたい仕事をする」でありたいと思っていたりする。そのタイミングを後ろ倒しにしてしまえば、熱はもう冷めてしまうかもしれないのだから。 もちろん、それが現実的に難しいことも理解している。でも、できる範囲でいいから、スケジュールに人を合わせるのではなく、人にスケジュールを 合わ せたいって思う。そのほうがずっと創造的で、ずっと豊かな気持ちで生きることができるんじゃないか。 今のようなスケジュール優先の生き方は、どこか物質主義に侵されてしまっている気がしてならない。「目に見えるもの」「数値化できるもの」ばかりを優先してしまい、感情や偶然は軽視されがちだ。スケジュールは「見える」が、感情は「見えない」からだろう。 スケジュール管理によって得られるメリットは大きいとは思う。しかしその一方で、「今この瞬間の気持ち」を脇に追いやる生き方は、自分自身を疲弊させ、創造性や直感も鈍らせてしまうようにも思う。 だから私は、会社でもみんなに対して「こうすべきだ」という言い方はしない。代わりに「こうしたい」と言うようにしている。そのほうが、人間の熱が感じられるし、創造性も発揮されやすいような気がするから。 続きを読む
年頭にあたり ~答えのない時代のはじまり~ 1月 06, 2025 昨年、印象的だった出来事のひとつは、兵庫県の知事選でした。ネットの影響力がオールドメディアを上回り、結果に大きな影響を与えました。このようなことは日本において初めてだったのではないでしょうか。私は今まで、メディアの報道に疑問を感じることがあっても、陰謀論者と思われるのが怖くて、あまり口に出せませんでした。でも、この知事選を見て、私と同じようにメディアの報道に疑問を持つ人が増えていることがわかり、疑問を口にしやすい空気が広がってきたと感じています。 今年は、おそらくこうした「メディアが隠してきた事実」がいくつも明るみに出る年になるでしょう。トランプは当選後の最初の演説で、「就任後数時間以内に言論の自由を取り戻す大統領令を発動する」と語りました。「国内の検閲に関与したすべての連邦官僚を特定し、解雇するプロセスを開始する」とも語っています。また、厚生長官に就任予定のロバートケネディジュニアが、例のお注射に関して徹底調査すると名言したことも話題になっています。今後アメリカでは、メディアの操作やその背後にいる権力構造が次々に明るみになっていくのでしょう。 こうした動きが加速していくと日本はどのように変化していくのでしょうか。日本の「報道の自由度ランキング」は現在70位と低迷している状況ですが、アメリカの影響を受けて、報道のあり方が見直されるきっかけになるかもしれません。事実が明るみに出ることで、これまで口を閉ざしていた人たちが次々と声を上げるようになる可能性があります。たとえば、例のお注射に関する隠された情報が公になれば、症状を抱えながらも泣き寝入りしていた人たちが集団訴訟を起こすような動きも活発化するかもしれません。あるいは、戦後GHQがどのようなことをして、日本に影響を与えていったのか。そのような問題についても、これまでタブー視されてきた内容が語られるようになり、事実を知った人たちが増えることで、本来の日本を取り戻そうという運動が活発化される可能性もあると思います。 重要なことは、こうした変化が私たちの価値観にも影響を及ぼしていくということです。これまで私たちが信じてきた「幸せ」や「豊かさ」といった概念も、実はメディアによって形作られた部分が少なくありません。最近では、働き方改革や副業促進、LGBTQ、移民政策、フェミニズム、昆虫食など、これらがメディアを介して広がり、画... 続きを読む
理性から感性へ ~技術と人の新しい関係~ 10月 26, 2025 私はずっと前から、理性から感性の時代がくると感じてきました。どうしてそう感じるのか。いろいろ思いつくのですが、今回は、技術の世界の側面から語ってみたいと思います。 2017年のことですが、私は大阪大学の石黒浩先生の講演を聴く機会がありました。石黒先生は、人と関わるロボットや人間酷似型ロボット(アンドロイド)の研究開発で知られる方です。その講演で先生はこう語っていました。 かつての製品開発は、機能だけ、つまり人間と切り離された機能にばかり注目していた。しかし基本的な機能は概ね研究が終わり、これからは「人間とのインターフェイス」の部分が重要になってくる。 私はこの言葉を聞いて、深く共感したことを覚えています。というのも、まさにその変化を私自身、さまざまな分野で感じていたからです。 わかりやすい例として、車を挙げてみたいと思います。私が若かったころは、テレビではF1レースや耐久レースが盛んに放送されていました。しかし今は、それらは継続して開催されているものの、以前ほど注目されていません。その理由は、メーカーごとの技術的な差がごくわずかになってしまったからではないでしょうか。 レースの勝敗を決めるのは、もはや車の性能よりもドライバーの技術や戦略によるところが大きい。そして、レースで勝ったからといって、ユーザーがそのメーカーを選ぶ理由には直結しません。どのメーカーの車も、市中を走るには十分すぎるほどの性能を備えているからです。 このことからも、すでにユーザーは車の性能だけで選んでいるわけではないことがわかります。いま求められているのは、性能ではなく「感性に響く魅力」です。つまり、石黒先生の言葉を借りれば、技術が「人間と切り離された世界」から、「人とのインターフェイスを意識した世界」へと変わりつつあるということです。 では、どうすれば人の感性に響かせることができるのか。マツダは「走る喜び」というコンセプトのもと、走ることそのものが楽しくなるような車をつくっています。それは単なる移動手段ではなく、走る行為そのものが感覚的な満足をもたらす車です。こうした試みは、理性の時代に生まれた技術を、人間の感性に結び直そうとする動きのひとつだと思います。 もちろん、もっと感性に響く車がこれからも誕生していくでしょう。メーカー各社はまだ模索の途中にあります。たとえば、四人で乗ることが楽しくて仕方... 続きを読む