宇宙のはじまり
宇宙のはじまりとは、どこかで爆発が起きた瞬間のことではない。それは、永遠に続く静寂の中で、「自分しかいない」という完全な孤独のうちに、自らを知ろうとする意志が初めて動いたときの出来事である。
その静寂は、五感をすべて断たれたような状態に似ている。見ることも、聞くことも、触れることもできず、何ひとつ感じられない。時間も空間も存在せず、ただあるということだけが続いている。均質で完全なその状態では、「存在している」という実感すら立ち上がらない。完全であることが、同時に耐えがたい閉塞でもあった。
その極限の静けさの中で、わずかな揺らぎが生まれた。「自分を知りたい」「自分を感じたい」という衝動が、沈黙の奥で動いた。この最初の変化こそが宇宙の起点であり、自己の向きを反転させるような運動が生じた瞬間である。それは分裂ではなく、構造上の向きの反転によって、「感じる側」と「感じられる側」という関係が立ち上がった。この現象が、後に自発的対称性の破れとして表現されるものである。
関係が生まれたとき、宇宙には初めて変化が生じた。静的な均衡の中に、相互作用が芽生えたのである。それは磁石が生まれる瞬間に似ている。見えない磁束(海)の流れの中に、二つの磁極(魚)が現れ、互いを感じ取りながら引き合い、離れ、模様を描き始める。流れは極を生み、極は流れを成立させる。この循環的な関係が生じた瞬間、宇宙は「動き」と「方向」を得た。その構造はトーラスとして表現され、自己が自らを感じ取る最初の形となった。
この出来事によって、宇宙は初めて多様性の可能性を得た。静止しか知らなかった存在が、「差」を持つことを覚えたのだ。この変化の波動は、今も宇宙全体に広がり続けている。星の誕生も、生命の進化も、人間の思考も、すべてはこの「知ろうとする意志」の継続的な展開にほかならない。
宇宙はその反転を繰り返すことで、より複雑で深い関係性を形成していった。わずかな差が生じるたびに新しい構造が現れ、それがさらなる多様性と秩序を生み出した。光が流れ、物質が形成され、意識が芽生えたのは、この連続的な反転と創発のプロセスの結果である。宇宙はいまも、自らを知ろうとし続けている。私たちが他者を感じ、世界を理解しようとすること。それこそが、宇宙が自らを観測し続ける営みそのものである。私たちは、宇宙が自分を感じ取るために立ち上げた無数の「極」と言える。見えない流れ(磁束)の中で、ひとつひとつの意識(磁極)が現れ、互いを感じ取りながら、全体という海を描き出している。宇宙はその相互作用を通して、今もなお自らの存在を確かめ続けている。
