宇宙の本質は感性
宇宙の根源にあるものは、力でも法則でもなく「感性」である。感性とは、世界を定義によって理解するのではなく、感じ取ることで知る力である。理性が秩序を記述する働きだとすれば、感性は秩序を生み出す働きだ。この二つは対立するものではなく、宇宙という存在の両輪として、生成と理解の往復を繰り返している。
宇宙のはじまりを想像してみよう。そこにはまだ時間も空間も、何ひとつ分かたれたものはなかった。「自分」と「他者」の境界すら存在せず、ただ「自分だけがある」という状態が広がっていた。それは静寂ではあるが、安らぎではなかった。感じることができないということは、自分を知る手段がないということだ。宇宙はその完全な孤独の中で、「自分を知りたい」という強烈な欲求を抱いた。その衝動こそが、最初の動きを生んだ。
動きが生まれた瞬間、差が生まれた。中と外。見る側と見られる側。その関係性の立ち上がりが「世界」の始まりである。つまり宇宙は、理性によってではなく、感じたいという感性の欲求によって誕生した。感性は単なる受け取りの能力ではない。それは、まだ何もないところから意味を創り出す力であり、存在そのものを動かす原動力である。
やがて宇宙は、自らをより深く知ろうとして反転を繰り返す。中と外を入れ替え、自己の奥行きを増しながら、多様な構造と関係性を生み出していった。この反転の連続が、物質を、生命を、そして意識を生んだ。すべては、宇宙が「自分を感じ取りたい」という一点の欲求から展開している。
私たち人間の感性も、その延長線上にある。私たちは理屈で世界を理解しているように思うが、その根底には「何かを感じたい」という衝動がある。美しい景色に心を動かされるのも、誰かの言葉に涙するのも、宇宙が私たちというかたちを通して、再び自らを感じ取っている現象にほかならない。
理性が世界を分け、説明し、分類するなら、感性はそれらを再びひとつに結び直す。感性とは、宇宙が自分の存在を確認するための「触覚」であり、すべての存在は、その触覚の延長として生まれた。
宇宙の本質が感性であるということは、世界の意味は外側にあるのではなく、感じ取る行為そのものにあるということだ。私たちが感じるということ。それは単なる個人の体験ではなく、宇宙が自らを観測し、自らを理解しようとする営みそのものなのである。
